模擬天守(館山市立博物館)
在城わずか20余年、房総里見氏最後の居城
別名
根古屋城
所在地
千葉県館山市館山、城山公園
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城山公園
遺構等:曲輪、堀切、空堀、水堀の一部、模擬天守
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/07/22
歴史等
里見義康は小田原攻めで失策(関東惣無事令違反)を犯し上総を没収され、安房一国のみ安堵された。上総から安房への総引き上げもあり、
天正19年(1591)頃館山城へ居城を移した。館山城は早くから岡本城の支城として使われていたが、
流通の拠点として拡大し使用することにした。城の中心は、標高74m(戦争中に高射砲の陣地にするために削られ、今は65m)
の独立丘である。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で徳川家康についた義康は恩賞として3万石を加増され12万石の関東最大の外様大名になった。しかし、
3年後、31歳で亡くなり、わずか10歳の梅鶴丸が家督を相続することになった。梅鶴丸(のちの忠義)
は家康の側近大久保忠隣の孫娘を妻に迎えた。
ところが、慶長19年(1614)9月9日、大久保忠隣事件に連座する形で、突然、国替を言い渡され伯耆国に移され、廃城となった。
伯耆国に移された忠義は、元和8年(1622)29歳で亡くなり、里見氏は途絶えた。
『房総里見氏(NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム刊)より』
現況・登城記・感想等
里見氏最後の城である。城の麓に「館山市立博物館」があり、そこに里見氏の歴史が案内されている。また、里見氏というと、
実際の歴史よりも、「里見八犬伝」のほうが有名であるが、それらのことが山頂に建っている模擬天守閣(博物館分館)内に展示されている。
館山城跡は後世の改変が甚だしく、中でも主郭部は太平洋戦争の最中、高角砲陣地構築のため10m近くも削られたのことで、
往時の様子を偲ぶのは難しいようである。
しかし、山頂に建つ模擬天守閣の是否はともかくとして、天守閣最上階からの眺望は素晴らしい。
房総は都内から3,000円という高い料金のアクアラインを使えば結構近い。ところが今回、アクアラインを渡り終わった時に、
デジカメを忘れたことに気が付いた。やむを得ず、使い捨てのカメラで間に合わせた。ところが出来上がった写真を見て愕然とした。
この城址のわずかに残った遺構の堀切や里見八犬伝のモデルとなった8人の忠臣の墓など、薄暗いところはほとんど写っていない。ガックリ~!
(2006/07/22登城して)
ギャラリー
山麓から見上げる模擬天守
切岸(この切岸はなかなか見応えがあった)
腰曲輪?(城のパンフには全く説明がないが、
主郭の西側にこんな馬蹄形をした削平地があったが腰曲輪跡?)
天守からの眺望1(梅雨空で富士山は見えなかったが、館山湾を望む眺望はなかなかのものである)
天守からの眺望2(左の半島状に突き出た山が、南条城跡)
堀切等々、他の写真は、真っ黒け! う~ん残念