下総 馬加城(千葉市)

城跡の高台に建つ巨大マンション

千葉氏の氏族馬加氏の本城

所在地

千葉市花見川区幕張町3丁目(JR総武線幕張駅から徒歩15分~20分)

形状

平山城

現状・遺構等

現状:住宅地
遺構等:なし

満足度

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訪城日

20047/07/25

歴史等

馬加城(まくわりじょう)は千葉氏(ちばうじ)の支族馬加氏の本城である。
康正元年(1455)3月20日馬加康胤(胤直の叔父)は千葉氏の重臣原胤房とはかって、千葉宗家の千葉城 (猪鼻城)に奇襲をかけ、これを焼き払った。宗家当主の胤直は千田庄(千葉県香取郡多古町)の多古城に、その子胤宣は志摩城(島城) に逃れたが、これらの城も攻められて胤直父子は自刃し、一族は滅亡した。
代って馬加康胤が千葉介を称し、宗家を継ぎ(馬加系千葉氏)、胤直の弟胤賢の子実胤と自胤は武蔵国に移りこれに対抗した(武蔵千葉氏)。
将軍足利義政に仕えていた千葉氏一族の美濃東氏の東常縁は、義政の命により同年12月13日馬加城を攻略し、 翌2年11月1日村田川の決戦にて康胤を討死させた。馬加城はその頃に廃城となったといわれている。
しかし、常縁の本拠地美濃国郡上郡の領地を守護代によって奪われたため、美濃国に戻り領地を取り戻した。
常縁が美濃国に戻った後、下総は宗家を継いだ康胤の子孫が統一したが、戦乱によって荒れた千葉城を離れ、 新たに印旛沼南岸に本佐倉城を築き移った。
『「歴史と旅・戦国大名総覧(秋田書店刊)」、「千葉城郷土資料館内展示資料&印刷物」参照』

現況・登城記・感想等

城名を決して「バカ城」と読まないで下さい。「マクワリ城」です。おそらく、「幕張(マクハリ)」 の地名はここからきているのでしょう。
それと、表紙がこんな写真で情けない。誰が見ても城には見えないですよねえ?
もちろん、遺構は全く残っていない。東京への通勤が1時間もかからない所であるし、止むを得ないですよね。ただ、 せめて石碑や説明板だけでもあればねえ。
(2007/07/25訪れて)

ギャラリー

高台の上に聳える城(巨大マンション)の手前には、まだ写真前面のように、低地に湿地帯が残っており、 当時はそれなりに要害の地であったのかも

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