陣屋跡の姉崎小学校、校門入ってすぐのところに標柱が
安房北条藩主水野忠韶が移封となり鶴牧藩を立藩し構えた陣屋
別名
鶴牧城
所在地
千葉県市原市椎津(姉崎小学校)
姉崎小学校:市原市椎津461、電話:0436-61-0058
形状
陣屋
現状・遺構
現状:姉崎小学校
遺構等:標柱
満足度
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訪城日
2008/09/02
歴史等
安房北条藩主であった水野忠韶は文政10年(1827)、上総国市原・望陀両郡に移封されたことから、鶴牧藩を立藩し、
市原郡椎津村に陣屋を構えた。
忠韶は城主格の大名であったことから、この陣屋は鶴牧城と呼ばれたという。
3代目藩主忠順の慶応4年(1868)に戊辰戦争が起こり、一時、忠順は新政府より抗戦の疑いをかけられ謹慎を命ぜられたが、
間もなく謹慎を解かれ、翌明治2年(1869)6月鶴牧藩知事に任ぜられ、同4年(1871)に廃藩置県となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)他参照』
現況・登城記・感想等
陣屋跡には姉ヶ崎小学校が建ち、遺構は全く残っていないようだ。小学校の正門を入ってすぐ左手の脇に蘇鉄の木が植えられ、その根元に
「史跡 鶴牧城跡」の標柱が建っている。
標柱は校門内にあるということで、昨今の世相から「嫌だなあ」と思ったが、「まだ午前7時、これならまだ誰も来ていないだろう」と思ったら、
案の定人影は無かったので、ゆっくり写真を撮った。
ところが、それは間違いだったことが判明。既に生徒は、校庭に集まっていた。「最近の小学校は始まるのが早いのかなあ! 私は、
子供の頃から朝が苦手で、いつも8時30分ぎりぎりに登校していたがなあ!! 今なら勤まらないなあ!?」
(2008/09/02訪れて)
ギャラリー
蘇鉄の木の下に「史跡 鶴牧城跡」の標柱が