横矢が幾重にもかかり屏風折れになった二の丸堀
佐竹氏分家額田氏が築城、額田氏滅亡後は佐竹氏宗家家臣小野崎氏が居城
所在地
茨城県那珂市額田南郷103他
【アクセス】
額田小学校の南側を通る県道62号線を100m程東進した1本目の細い路地を南(右)へ入った辺りからが額田城址ですが、この路地が本当に狭く、ちょっと車で入って行くのは憚られたので、小学校の駐車場を拝借して歩いて入って行きました。
額田小学校:額田北郷311、TEL029-298-6838
形状
平城
現状・遺構等
現状:市街地、畑地、杉林等
遺構等:曲輪、土塁、堀、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/04/23
歴史等
額田城は、建長年間(1249~1256)佐竹氏5代義重の二男義直がこの地に築城し、額田氏を称した。
10代義亮の時、佐竹氏宗家と対立し、応永30年(1423)佐竹氏13代義人に攻められ落城し、額田氏は滅亡した。
その後、義人の家臣小野崎氏が城主となり、以後7代照通まで続いたが、天正19年(1591)佐竹氏20代義宣に、照通に異心ありとし攻められ落城した。照通は、陸奥へ亡命し、以後廃城となった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
額田小学校の南側を通る県道62号線を100m程東進した1本目の細い路地を南 (右)へ入った辺りからが額田城址です。細い路地を入った所にほとんど埋ってしまっていますが堀跡が確認出来ます。その先が三の丸跡ですが、この辺りは民家や畑地になっており風情は全くありません。
そこを南へと進んで行くと近世城郭並みの大規模な二の丸堀へと出ます。
堀に沿って東(左)の方へと歩いて行くと土橋があり、畑地になった広い二の丸へと出ます。土橋は畑の開墾のために後世になって造られたものかもしれませんが、両側の堀と相俟って結構さまになりかっこいいです。また、土橋の東(左)側の堀は幾重にも横矢がかかり見事な屏風折れになっています。
二の丸の奥(南)が本丸で、その間にはやはり見事な堀が残っています。東側の堀底には水が湧き出ており、一部外側の土塁が決壊していますが、往時は水堀又は泥の堀だったのかもしれません。南西部は泥田というか沼のようになっており、防御的に堅固であったのでしょう。
本丸跡は広い杉林になっていますが、一周することが出来ます。本丸は堀に周囲を囲まれ、一部土塁も残っています。往時は、土塁も周囲を巡っていたのでしょうか。中でも北西部隅の土塁は幅も広く、櫓台のようで、横矢がかかっています。
額田城中心部は本丸、二の丸、三の丸の3つの曲輪からなり、それらの曲輪の周囲は全て堀が巡っていたようで、本丸と二の丸の堀は完存に近い形で残っています。また民家や畑にほぼ埋もれたような三の丸も、最東部にある町指定文化財「鈴木家のヒイラギ」のある辺りの堀は良好に残っています。
これほど良好に残った城址で、しかもこれほど大規模な堀が残っているとは想像だにしていなかったので得をした気分になりました(*^_^*)。
(2008/04/23登城して)
ギャラリー
額田城跡の図(現地案内板より)
額田小学校の南側を通る県道62号線を100m程東進した1本目の細い路地を南 (右)へ入った辺りからが額田城址です。
【三の丸】
三の丸入口の堀跡
県道62号線から路地に入ったところに、ほとんど埋まってしまってはいますが、堀跡が確認できます。
三の丸跡
堀跡の先が三の丸跡ですが、この辺りは民家や畑地になっており風情は全くありません。
町指定文化財「鈴木家のヒイラギ」
三の丸は民家や畑に埋もれてしまってますが、三の丸最東部の町指定文化財「鈴木家のヒイラギ」がそびえる辺りの堀は良好に残っています。
「鈴木家のヒイラギ」そばの三の丸の堀
【二の丸】
二の丸の堀
三の丸を南へと進んで行くと二の丸の堀へと出ますが、まるで近世城郭並みの大規模な堀です。
二の丸の堀と土橋
二の丸の堀に沿って東(左)の方へと歩いて行くと土橋があります。土橋は二の丸跡の畑の開墾のために後世になって造られたものかもしれませんが、両側の堀と相俟って結構さまになりかっこいいです。
屏風折れの堀
土橋の東(左)側の堀は幾重にも横矢がかかり見事な屏風折れになっています。
二の丸
土橋を渡ると二の丸へと出ます。二の丸は非常に広く、今は畑になっており、かなり改変されているかもしれませんが、所々に土塁が残っています。芝桜がきれいでした。
【本丸】
本丸北側の堀
二の丸の奥(南)が本丸で、その間にはやはり見事な堀が残っています。
本丸北東隅の堀
本丸北東隅から、東側にかけては水溜りが・・・。往時は泥田堀のようになっていたのではないでしょうか。
本丸東側の堀
東側の堀底には水が湧き出ています。
本丸南西部の泥田
本丸南西部の堀は泥田というか沼のようになっています。
本丸
本丸跡は非常に広い杉林になっていますが、一周することが出来ます。本丸は大規模な堀に周囲を囲まれ、一部土塁も残っています。往時は、土塁も周囲を巡っていたのでしょうか?
本丸北西部隅の櫓台?
中でも北西部隅の土塁は分厚く、櫓台のようで、横矢がかかっています。