城山公園に植木で描かれた「ようこそカシマ」の文字
常陸大掾氏族鹿島氏400年の居城、佐竹義宣により落城
別名
吉岡城
所在地
茨城県鹿嶋市城山1丁目1(城山公園)、鹿島高校の北
鹿島高校:城山2丁目2-19、電話0299-82-1903
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城山公園、鹿島高校、宅地他
遺構等:曲輪、土塁、堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2009/01/18
歴史等
鹿島城は養和元年(1181)に、平貞盛を祖とする常陸大掾氏族の鹿島政幹が当地に吉岡城を築いたのが始まりである。
政幹より8世の孫幹重は正平23年(1368)に鹿島総大行事に任じられて子孫が世襲していった。
大永3年(1523)、幹重より7世の孫義幹は城を大修築した。その後、常陸に住む鹿島氏支族は繁栄し、それぞれ山城を根城として鹿島・
行方方面に広大な領地をもって勢力をふるった。元亀天正年間(1570~91)の、いわゆる33館とは、概ねその一族であった。
しかし守護の佐竹義宣と対立し、天正19年(1591)に城主清秀(義幹の孫)ほか鹿島・行方の城主は常陸太田に招かれ、そこで謀殺された。
さらに義宣は鹿島城を攻撃し落城させ、鹿島氏は滅亡した。養和元年(1181)よりこの年(1591)までおよそ401年である。
慶長初期、徳川氏は義幹の外曾孫・国分胤光に鹿島氏を継がせ、再び鹿島神宮の総大行事を相続させ、大宮司並びに神宮の神職につかせた。以後、
子孫は明治維新まで受け継がれた。『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
鹿嶋と云えば、子供の頃は、「鹿島神宮」と「塚原ト伝」そして「新興の工業地帯」ということで記憶しているが、多分今の子供(大人も?
)は「鹿島アントラーズ」なんだろうなあ?
ところが、どっこい!そんな鹿嶋にも「鹿島城址」があるのだ。
鹿島城址は本丸跡が城山公園となっている。往時は、二の丸跡に建つ鹿島高校や周りの宅地も含む大規模な城であったようだ。
本丸は非常に広く、200m四方もあり、南と北に1mほどの低い土塁が囲んでいるが、往時は本丸周囲を取り囲んでいたのであろうか?また、
南の方には内部を区切るような土塁が一部残っているが、往時はこのような土塁で幾つかの郭に分けられていたのであろうか?
本丸の周囲には数段の腰曲輪も確認出来る。
また、本丸北側や西側には水堀跡も残存し、草叢になっている。
しかし、この城の最大の見所は、本丸虎口周辺のまるで近世城郭の堀のような大規模な堀であろう。この堀は高さ約10m、幅約20mもあろう。
(2009/01/18登城して)
ギャラリー
登城
㊧城山公園へは、大きくカーブした坂道を車で入って行くことが出来る。
㊨両側の大規模な堀に架かる土橋を渡り本丸虎口を入って行く。この土橋、当然往時はもっと狭かったであろう。虎口を入った所と入って右(北)
の方に駐車場がある。
本丸虎口手前両側の堀(北側)
本丸虎口手前両側の堀は、まるで近世城郭のような大規模なもので、深さ約10m、幅約20mはあるであろう。
勿論、この城址の最大の見所である。
本丸虎口手前両側の堀(南側)
本丸
本丸は非常に広く約200m四方もあろう。
本丸南側の土塁
本丸の南と北には1mほどの高さの土塁が取り囲んでいる。往時は、周囲を廻っていたのであろうか?
土塁の上
土塁の上は遊歩道となっており、ウォーキングにいそしんでいる人がいた。外側にも削平地があるが、
犬走りにしては広すぎるし、帯曲輪?
本丸内部区画用?の土塁
本丸内部を区切るような土塁が一部残っていたが、
往時はこのような土塁で幾つかの郭に分けられていたのであろうか?
城址碑と説明板
本丸西隅に説明付きの鹿島城址記念碑と、それを現代文訳した説明板が立っている。
ちょっと佐竹氏を悪く書き過ぎ?
西方面の眺望
石碑裏からの眺望は良く、JR鹿島線をはさんで北浦や潮来方面が見渡せる。
本丸西側の水堀跡
本丸北側や西側には水堀跡も残存し、草叢になっている。また、表紙写真でも見られるように、城郭斜面には
「ようこそカシマへ」の木文字があり、その上は腰曲輪跡である。
【鹿嶋と云えば!?】
①鹿島神宮
当日は、まだ1月18日(日曜日)ということで、参詣客で賑わっていた。
②塚原ト伝
塚原ト伝と云えば、子供の頃の記憶では「鍋の蓋で刀を受け止める」だった(笑)!漫画の見過ぎ!?
③鹿島サッカースタジアム
最近の子供(大人も!?)にとっては、「アントラーズ」なんだろうなあ!
④しかし、私にはなんと言っても「ウナギ」
潮来も含め、この辺りは「鰻」の名産地だ。ネットで調べ、「うなぎ・立花」へ入った。
見た目には老舗でもなさそうで心配したが、これが何とも美味かった。おまけに、今回は「天然鰻」を食することが出来た。自称「鰻通」の私で、
全国多くで食べてきたが、その中でも最高かもしれない。浜松の「清水屋」や岡崎の「鴨川」にも負けないくらいだ。当然、東京の「尾花」や
「野田岩」等々にも負けない。値段も天然鰻であるにも関わらず160g4,200円。ただ、ちょっと少なめで食べ足りなかった!