下野 森田陣屋(那須烏山市)

僅かに残る土塁

大田原氏の分家の陣屋

別名

小塙館(おばなやかた)、小塙陣屋

所在地

栃木県那須烏山市小塙(JR烏山線小塙駅の北東200mほどの所)

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:畑、雑木林
遺構等:土塁、堀、説明板(半分字が消えてしまっている)

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/01/15

歴史等

森田陣屋は、大田原綱清の次子増清により築かれた。
増清は、兄晴清と共に、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに際し、主家那須氏に先んじて参陣し、 大田原氏は本領7千石余を安堵され、那須氏より独立を果たした。
そして、徳川家康による上杉征伐の折、家康に詳細を言上する等により、慶長5年(1600)秀忠よりこの地に8百石(一説に1千石) を与えられ、陣屋を置いた。
その後、家康の小姓となり、加増され1千5百石となった。
2代政継の時に、交代寄合に列した。初代増清から数えて10代目の清直の時に明治を迎え版籍奉還した。
『現地説明板参照』

現況・登城記・感想等

森田陣屋は、ほとんどが田園となり、僅かに土塁等が残るだけである。
綺麗に耕された畑の奥に土塁跡があり、水堀が残っているとのことであるが、畑の中を入って行くわけにもいかず、 道路脇から写真を撮るだけにした。
尚、道路側にも堀跡らしき地形があったが、それがどうなのかは分からなかった。
(2008/01/15訪れて)

ギャラリー

土塁跡
土塁全体(表紙写真)を撮るのが、強烈な逆光だったので、位置を変えて、 最も高い部分をズームアップして撮った。

水堀跡?
道路側にも堀跡らしき地形があったが、それがどうなのかは分からなかった。

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