上野 松井田城(安中市)

本城(一の曲輪)と馬出間の堀切

信玄の上野進出に備え築城も落城、武田氏滅亡後、秀吉の小田原攻めでまたも落城

所在地

群馬県安中市松井田町新堀
(旧)群馬県碓氷郡松井田町新堀

形状

山城(比高:130m、標高:410m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、馬出し、竪堀、空堀、堀切、土塁、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2001/08/19
2007/10/14

歴史等

永禄年間初頭(1558~60)に武田信玄が上野国進出をはじめた。それに備えて安中忠政が、新しく安中城を築城し嫡子忠成を入れ、 自分は松井田城を本格的に改修して居城としたが、永禄4年(1561)、信玄は安中・松井田間に八幡平陣城を築き、同7年(1564) 両城は落城した。
天正10年(1582)3月、武田氏を滅ぼした織田勢は、碓氷峠を越えて上野に侵出し、織田家の部将滝川一益は厩橋城を拠点にして上野を支配した。 しかし、本能寺の変で信長が滅びると、一益は城を捨て本領の伊勢へ敗走し、上野は後北条氏の手中に収められた。 上野を制覇した後北条氏は碓氷峠を押える要衝松井田城に大道寺政繁を配して、大改修拡張し守りを固め、現遺構のように完成し、 北条氏の築城法を示す典型的な山城となった。
天正17年(1589)11月、豊臣秀吉の小田原征伐の火蓋が切って落とされた。豊臣勢の関東への侵入予想ルートは、 箱根越えと碓氷峠越えであった。つまり、松井田城を守る政繁に課せられた任務は、碓氷峠越えの豊臣勢を撃退することであった。しかし、 前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの豊臣勢は、天正18年(1590)3月20日、松井田城に殺到し、激戦が始まり、そして、 4月20日の総攻撃により落城し、そのまま廃城となった。
松井田城は、落城後も、城としての遺構をほぼ完全に残しているきわめて重要な城跡である。城跡の主要部は、おおよそ東西に1km、南北に1. 5kmにおよび、ところどころを堀切で絶ち、その間に10箇所ほどの郭が並んでいる。
『「現地説明板」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」参照』 

現況・登城記・感想等

城への登城口がわかりにくく、しかも真夏でもあり草茫々で歩き辛かった。そのせいか、 或いは夕方近くになり時間が無く急いで登ったせいか、 いろんな資料等によると土塁や堀切など中世山城の原型がはっきりよく残っていて分かり易いとあるが、あまりよく分からなかった。当然、 感激度も少ない。また機会があれば、ゆっくりと歩いて廻ってみたい。
(2001/08/19登城してみて)

7年強ぶりに登城した。今回は時間もたっぷり。
松井田城は非常に大規模な山城であり、道もよく整備され気持ちよく散策出来た。また、各曲輪や堀切等々遺構もほとんど手を掛けられず、 非常によく残っていた。
しかし手を掛けていないということは同時に、一番見たかった連続空堀もほとんど整備されていなくて、 二の丸下の一番目の空堀だけは確認出来たものの、それに続く連続空堀は木々と草が鬱蒼と生茂っていて、とても入っては行けず、 確認出来なかったのは残念だった。
しかし、その一番目の空堀は非常に大規模なもので実に見応えがあった。15m以上もあろうかという深さと、60度はあろうか (実際は45度くらいかも)という斜度で、降りて行くのは命がけ(ちょっと大袈裟?)であった。摑まるような木も無く、杖がなかったら、 とても降りていけなかったであろう。
(2007/10/14登城して)

ギャラリー

松井田城縄張図(現地説明板より)  ~クリックにて拡大画面に~

大手口近くの館跡
松井田城跡は木々が鬱蒼と生茂っており、眺望はよくない。唯一、 ここだけが視界が拡がっている。ここに駐車場があり、ここから大手道を登って行く。

登城始めて最初に出会う堀切

次に出会う堀切
手前は道の両側が高くなっており、堀切の土橋の向こうは行く手を遮るように土塁がある。 それらの土塁上には櫓などの建物が建っていたのであろう。

本城(右へ)と安中郭・水の手(左へ) への分岐点

横堀
上写真の分岐点を右(本城方面) へ進んで行くと横堀に出会う。

切り通しの道?(堀切?)
さらに進んで行くと、切り通しの道となるが、これは堀切の役目もしていたのであろうか?

大手門跡の石垣

本城(一の曲輪) と馬出間の堀切
手前本城から撮影。堀切の向こう側は馬出・中城へと続く。

本城(一の曲輪)
本城は当時の山城としてはかなり広いほうであろう。奥は少し高くなっているが、当時は物見櫓か何らかの建物が建っていたのであろう。 今は虚空蔵菩薩を祀る建物が。

虚空蔵菩薩
本城隅の土塁上には虚空蔵菩薩を祀る建物が建ち、 中を覗いて見たら小さな虚空蔵菩薩像と不動明王像が仲良く並んでいた。
 

本城(一の曲輪)からの眺望
松井田城跡は、 どこも木々が鬱蒼と生茂り眺望は良くない。本城からも、木々の間から僅かに城下が覗けるだけである。

馬出
写真手前土塁が円く囲んでいる。

馬出・中城(二の城) 間の堀切
木々が生えて、写真では分かり辛いか?

中城(二の城) と土塁
中城には土塁がはっきりと残っている。右写真は土塁上から撮影。
 

連続空堀(中城下の空堀) ①
連続空堀の二の丸横の一番目の空堀は非常に大規模なもので実に見応えがあった。 15m以上もあろうかという深さと、60度はあろうか(実際は45度くらいかも)という斜度で、降りて行くのは命がけ(ちょっと大袈裟?) であった。摑まるような木も無く、杖がなかったら、とても降りていけなかったであろう。

連続空堀(中城下の空堀) ②
㊧中城から堀底を、 ㊨堀底から中城を見上げる
写真では分かり辛いが、非常に深く、斜度も凄く迫力満点である。
  

連続空堀
2番目以降奥の連続空堀は木々と草が鬱蒼と生茂っていて、 とても入っては行けなかったのは残念だった。写真では全く分からないが、現地で見ると、僅かにそれらしき(凸凹の)感じはした。

【安中郭・水の手方面に向かう】
獣の足跡

本城と水の手の分岐点から水の手方面へ向かって行くと、獣の足跡が!!熊ではなさそうで、取り敢えずは安心。猪?それとも鹿?

道横の谷
安中郭・ 水の手方面への道の横は急崖になっている。また、この道はあまり人が通らないせいか草がかなり深かった。また、 今年の台風のせいか多くの木が倒れていた。そして、ついには大木が道を遮り、その奥は、草茫々。諦めて戻った。
 

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