二の丸土塁上から本丸を
戦国時代の豪族白倉氏の居城
別名
仁井屋城と併せて白倉城
所在地
群馬県甘楽郡甘楽町白倉
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城址公園
遺構等:曲輪、土塁、空堀、標柱、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/10/04
歴史等
麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城(にいやじょう)と併せて白倉城と呼ばれ、
典型的な別城一郭(双子城)であると云われている。
当城は、戦国時代初期の築城とされ、天正18年(1590)
の豊臣秀吉の小田原征伐時に前田利家を総大将とする東山道軍に攻め落されるまで約370年間の活躍があった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
七日市陣屋へ行こうと国道254号線を富岡へ向かって行ったら、「麻場城」の案内板があったので、
大したことはないだろうと思いながらも、ついでに寄ってみたら結構遺構が残っており得した気分になった。
麻場城址は公園として非常に綺麗に整備されており、今日も草刈り作業がされていた。
本丸は台形で、短いところで約50m、長いところで約70mほどある。本丸の周りは、結構大規模な空堀に囲まれている。
堀の幅は上部で15mほどもあり、深さは6mはあるであろう。この大規模な空堀には想定していなかっただけに感動した。
本丸の北側には、堀切・模擬櫓・帯曲輪(笹曲輪)があり、本丸堀と堀切には木橋が架かっている。
本丸の南側には二の丸があり、土橋で繋がり、さらに高さ2mほどの土塁があり、虎口がある。二の丸も堀で囲まれていたようで、
一部が残っている。
(2007/10/04登城して)
ギャラリー
麻場城想像図(現地二の丸跡説明板より)
麻場城縄張図(現地説明板より)
笹曲輪北の堀切に架かる木橋と笹曲輪に建つ模擬櫓
本丸北側の空堀と木橋
本丸北側の空堀(㊧東側、㊨西側)
本丸南側空堀の土橋(写真奥は本丸)
本丸は台形で、短いところで約50m、長いところで約70mほどある。本丸の周りは、
結構大規模な空堀に囲まれている。堀の幅は上部で15mほどもあり、深さは6mはあるであろう。
本丸南側の空堀
本丸・二の丸間の土塁(左側は本丸空堀、右側は二の丸)
本丸・二の丸間の虎口(二の丸から)
二の丸(二の丸はあまり広くない)
二の丸西側の空堀