児童公園の隅に建つ城址碑
和田城(のちの高崎城)の出城
別名
和田下之城
所在地
群馬県高崎市下之城町
如意寺の西300mほど(但し、道は屈折しているので、寺から真っ直ぐには行けない)
形状
平城
現状・遺構等
現状:宅地(児童公園)
遺構等:石碑、説明板のみ
満足度
-----
訪城日
2008/12/20
歴史等
和田城主和田業繁(吉景)は、出城として下之城を築き、弟の信景(正盛)を置いたが、永禄6年(1563)兄弟共に武田信玄に属した。
同12年(1569)、信玄は後北条氏に備えて、倉賀野領の一部を信景に与え、城を強化させた。
天正12年(1582)武田氏滅亡後、正盛は隠居し、その子・正直がついで後北条氏に従い、天正18年(1590)、
後北条氏滅亡と共にこの城も廃された。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
下之城跡は宅地に埋もれ、往時の姿はほとんど見る影もなく、児童公園兼公民館駐車場の奥に石碑が立ち、
入口の金網のところに古くて字が消えかかったような小さな説明板があるのみである。
用水路が堀跡というが、遺構は全くないと言ってもよいであろう。
ただ、旧城内の道は屈折しており、鍵形やT字、喰い違いなどとなっているのが往時の面影と言えるのかも。
(2008/12/20訪れて)
ギャラリー
縄張略図(現地説明板より)