上野 山上城(桐生市)

本郭西側の延々と続く空堀(400m以上)

東上州四家の一つ・山上氏の城

所在地

群馬県桐生市新里町山上282(城址公園:新里村農村公園)
城山幼稚園(桐生市新里町山上291、電話0277-74-4025)のすぐ西

形状

平山城(標高221.2m、比高約10m)

現状・遺構等

現状:城址公園他
遺構等:曲輪、土塁、堀切、空堀、井戸、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/02/08

歴史等

山上(やまかみ)城は、応永年間(1394~1428)に藤原秀郷(俵藤太)の流れをくむ、足利成行の孫・ 五郎高綱がこの地を領して築城し、山上氏を称したと伝えられている。
高綱の子・高光は源頼朝に仕え、子孫は相次いで山上を領し、管領上杉氏の頃には由良氏・薗田氏・ 桐生氏などと共に東上州四家の一として重きをなしていた。
弘治元年(1555)、山上氏秀(道及)は北条氏康に山上城を奪われて浪人し、後に武田信玄に仕え、武田氏滅亡後は滝川一益に従ったという。
小田原の役では、豊臣勢を誘導して関東緒城の攻略に功があった。
『群馬の古城・山崎一著(あかぎ出版刊)他参照』

現況・登城記・感想等

山上城址は綺麗に整備された城址公園となり、強烈な空っ風であったが、日曜日でもあり多くの家族連れが来ていた。
しかし、公園化されているとは言え、遺構は良好に残っている。
城は南北650m、東西220mの細長い形の並郭式縄張りで、丘陵部北側を堀切により断ち切り、北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・ 三の丸・南郭が一直線に並び、それぞれの曲輪は堀切で区切られている。
また、この城は、三の丸より北側部分の本郭と南郭の別郭一城の構造になっており、北の本郭が南北420m、南郭が210mである。
本郭両側にはかなり広い腰曲輪や帯曲輪がある。
本郭西側の大規模な空堀と土塁が全長400m以上に渡って続くさまは圧巻である。しかも、二重空堀になっている。
南郭は宅地や畑地等になっているが、旧状はかなり残り、物見台跡も残っている。
(2009/02/08登城して)

【余談】
城山幼稚園を目標にナビをセットしたら「山上城」が出てきたので、そこにリセットしたところ、城址の西側へ出てしまい登城口が分からない。
強引に畦道のような細い道を城址に向かって入って行くと、城址の土塁に沿った轍のある細い堀底道のような道(後で分かったことだが、 この道は二重空堀の外側の堀底道だった)へ出た。
登城口を捜して、細くて引き返すことが出来ないその堀底道を南へと進んだが、両側の木の枝が車に当たるのは兎も角、 強風のために折れた枝がやたらと落ちていてパンクしないかとヒヤヒヤ物だったが何とか城址の南西角まで出た。
そこからは割合簡単に登城口が見つかった。結局、幼稚園を目指して来ればすぐ分かるような場所だった(苦笑)。

ギャラリー

縄張略図(現地説明板から)

山上城跡 模擬櫓風の看板
城址の南東の駐車場入口にある模擬櫓風の建物だがチョットちゃちかな?

三の丸の芝生公園入口の橋
庭園用の橋で、城塁も模擬の石垣で固められている。

三の丸
三の丸は芝生公園となってきれいに整備されている。1.5~2mほどの段差で2段に分かれている。 城内で最も広い曲輪。

大むかでと大蛇(おろち)のモニュメント
三の丸跡には何故か「大むかでと大蛇(おろち)」のモニュメントがあり、子供の字で 「むかしむかし赤木山の神様の大むかでと日光男体山の神様の大蛇(おろち)が争いをしたとさ」と刻まれている。また、 側面には山上城由来の説明が刻まれている。

三の丸の南端の第一号井戸
公園整備の発掘調査時に発見されたもので、深さ8m、口径4m、底径1mの規模。人為的に埋められたようで、 出土遺物に五輪搭や石臼、カワラケ皿などがあるそうだ。

三の丸と南郭の間の曲輪(名称不明)
三の丸南端から南郭方面を望む写真であるが、その間の曲輪は、かなり削られて形状が変化しているようだが、 墓の部分(写真左上)が一部残っているが、旧状はどうだったのだろうか?或いは、別郭一城の構造のようであるし、 現状とあまり変わらないのかも?

何やら不明な石の配列
三の丸の上の段に、このような石の配列があった。礎石にしては密着しすぎているし、一体何だろう?

二の丸・三の丸間の堀切
右側が二の丸、左側が三の丸。堀底から二の丸上までは3mmほどであるが、往時はもう少し深かっただろう。

二の丸東側の上腰郭
二の丸下から本丸下にかけての長くて広い腰曲輪である。左上が二の丸で、その奥の一段高いところが本丸。

二の丸
二の丸から北方面は雑木林になっている。写真右奥の一段上が本丸。

㊧本丸、 ㊨本丸北端に立つ城址碑
㊧本丸跡広場なんてなってるけど、木々が多くとても広場とは言えないと思うけど?㊨城址碑は、 本丸北端にポツンと立っており見落としそうだった。
 

本丸西の上腰郭?
最初、この窪地を見た時は空堀かと思ったが、説明板の縄張図を見ると上腰郭のようだ。 この写真は本丸北から撮ったもので、左上が本丸、右土塁(帯郭?)の右側は大規模な空堀がある。

本丸東の上腰郭
本丸東側には二の丸下から続く長くて広い腰郭がある。

北郭
本丸北端から撮った北郭である。

本丸と北郭間の堀切
かなり埋まっているが充分確認できる。堀切の右側が北郭。

北郭と笹郭間の堀切
深さは4mほどある。

笹郭の北側の堀切
深さ3~4mほどある。

本郭西側の空堀①
北郭西側の堀底から撮ったもの。この空堀は延々400m以上続いている。左上が北郭で、 堀底から高さ5m近くある。右の土塁は高さ2mほどである。

本郭西側の空堀②
二の丸西側の堀底から撮ったもので、右上の二の丸帯郭までは高さ5mほどあり、 さらにそこから二の丸までは3mほどある。左側の土塁も2m以上ある。

21南郭
南郭から本郭方面を撮ったもの。右の道奥は虎口があったのではと思われる。

22物見台
南郭には物見台跡が残っている。高さ5mほどで、20m四方ほどの広さである。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント