長光寺の南側の小公園に残る城沼(芦沼)の一部「弁天池」
小柴氏が在城、はじめ那波氏、後に由良氏に属した
所在地
伊勢崎市境489、長光寺の南側の小公園(境公園)に城沼(芦沼)の一部の弁天池
長光寺:伊勢崎市境495、電話0270-74-0003
形状
平城
現状・遺構等
現状:前橋高等養護学校伊勢崎分校、長光寺、瑳珂比神社
遺構等:城沼(芦沼)の一部(弁天池)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2009/02/08
歴史等
境城は、室町時代にこの地を治めていた井上平左衛門によって築かれたといわれる。
戦国時代の天正年間(1573~91)には、小柴氏の所領となり盛光・永光父子が在城した。小柴氏は、はじめ那波氏、後に由良氏に属した。
現況・登城記・感想等
前橋高等養護学校伊勢崎分校(境高校が平成18年度で統合により廃校となり、その後へ設立)・長光寺・瑳珂比神社一帯が境城跡である。
境城は、南を城沼(芦沼)に面する高さ4m程の崖を利用し、他の3方に濠をめぐらした単郭の城で五角形だったそうだ。
今では、長光寺の南側の小公園の弁天池だけが残っているだけである。弁天池は、城沼(芦沼)の東端部が残り、
中の小島に弁財天が祀られているのでそう呼ばれているそうだ。
中の小島へ橋を渡ろうと思ったら、おりからの上州名物空っ風で噴水の水が橋まで降りかかり渡れなかった。
池も写真のとおり海のような波だった。
(2009/02/08訪れて)