越後 大天城(新発田市)

本丸東隅の土塁前の石碑と説明板

地元豪族青鬼氏の居城

所在地

新潟県新発田市住田、大天城公園

形状

丘城

現状・遺構等

現状:大天城公園
遺構等:曲輪、土塁、堀切、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2009/05/24

歴史等

大天城の城主は、平安末期に加地郷を支配した青鬼監人(おおきかんど)であると語りつたえられております。
青鬼氏は、城主として地元住民に対し常に温情をほどこし、敬愛されていました。また、黒鳥兵衛の武将であったという説もあり、 鬼の名で呼ばれ、姓は青鬼のほか青木・大木・黄鬼・応宜など、名の方も監人のほかに貫道・間道・角外・ 勘藤六などと発生音からくる当て字がいろいろ使われております。
この青鬼氏は諸将とのあつれき攻防で敗死し、この先北方約400mの青鬼崎の大石を墓標として埋葬されました。
青鬼崎には、鎌倉期に高さ約2mの三重の石塔が建てられており「鬼の墓」と呼ばれております。
平成5年8月     北蒲原郡加地川村
『現地本丸跡説明板』

現況・登城記・感想等

大天城(おおてんじょう)のことは全く知らなかった。当然、青鬼氏なるものも・・・(汗)。
天候がもう一つで、山城はちょっと厳しいかなと思い、当初、予定していなかった新発田城に足を伸ばすことしたので、 ついでに近くの城址をと思い、調べてやってきた。
城跡は、城址公園として綺麗に整備され、地元の方の朝の散策コースになっているようで、何人もの人に出会った。
地元豪族の城館であり、当然、規模もそれほど大きくはないが、東西に連郭式に曲輪が続き、 曲輪間には堀切やそれに順ずるようなもので区切られている。
最も西側の曲輪が最も広く、本丸のようであり、その東隅の土塁手前に石碑と説明板が建てられている。
また、本丸東側の堀切は結構大規模で橋が架けられていた。
尚、東側の山も城域かと思い、登ってみたが違うようであった。(2009/05/24登城して)

ギャラリー

大天城公園
大天城跡は、公園として整備され、ナビで「新発田市住田」を指定するとすぐに出てきた。 駐車場は50台以上はゆうに停められる。

公園入口から全景を
城跡は、駐車場の南西の山で、写真左側の階段から入っていく。

曲輪
城は東西に連郭式に築かれ、その小さな曲輪には椅子や東屋が設置されていた。

本丸手前の堀切に架かる橋
本丸手前の堀切は、かなり大規模で蔦の絡まる橋が架かっていた。左写真、橋の奥の石段上が本丸である。
 

本丸
本丸は最も広く、北隅に展望台(右写真)が設置されている。本丸下には腰曲輪も確認できる。 左写真は展望台から撮ったもので、左(東)側に土塁が見える。尚、本丸は樹木に囲まれ、展望台からの眺望も決して良くない。
 

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