越後 琵琶懸城(十日町市)

北東部の水堀

関東征旅の謙信軍団、信濃川渡河後の宿城

所在地

新潟県十日町市城之古(たてのこし)
【行き方】
場所は結構ややこしく、説明が難しいが、城之古地区で城跡(或いは観音堂)の場所を尋ねると、大抵の人は知っているようだった。 城之古地区に入ったら教えてもらうのが一番だと思う。車は、私は信濃川の堤防上に駐車して登城した。

形状

平城(崖端城)

現状・遺構等

現状:畑地、墓地等
遺構等:曲輪、土塁、虎口、空堀、水堀、櫓台?

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/10/04

歴史等

琵琶懸(びわがけ)城の築城年代は明らかではないが、平安時代末期の仁安2年(1167)に本間義秀が築城したとも、 南北朝時代に羽根川(羽川)氏が築城したとも伝えられている。
上杉氏が守護となると、その家臣長尾景広が在城したとされ、数代にわたって長尾氏の居城となったといわれる。
戦国時代に入り、永禄3年(1560)以降は、上杉謙信の関東征旅のための中継基地となり、信濃川を渡河したあとの宿営地として用いられた。
天正6年(1578)に勃発した御館の乱後には、上杉景勝の家臣である上田衆の金子氏が城代に任じられたとされる。
慶長3年(1598)、景勝が会津に移封されて後は、廃城になったものと思われる。

現況・登城記・感想等

信濃川は、今では堤防が築かれ、その流域を琵琶懸城跡の西方200mほどのところに移しているが、 往時は城の直下を流れていたことであろう。
信濃川の堤防の上から段丘上にある琵琶懸城跡を眺めると、信濃川を天然の堀として利用した往時の城の光景が目に浮かぶようだ。
城址は、複数の人の私有地で、案内板等は全くなく、ほとんどが畑や墓地になっているが、土塁や堀等の遺構は意外と良好に残っている。
城の南西部にある土塁と空堀で囲まれたⅠ郭の南と西側は急崖で、眼下には水田と信濃川の流れがよく見え、それなりに堅固な城であったようだ。
(2009/10/04登城して)

ギャラリー

琵琶懸城址全景
信濃川の堤防上から城址を望むと、明らかに城跡だと分かる段丘地形の森が見える。

城跡北部に建つ観音堂
正面に一段高い所に観音堂が見え、その向こうが城址らしいというのが分かる。

鎮守(神社の祠)と水堀
左手(東)を見ると、村の鎮守の祠があり、その横に水堀と土塁が見える。

北東から東側にかけての堀
堀は城跡の北から東側にかけて良好に残り、北側部分は水堀になっている。 信濃川の堤防上から段丘を見た後だったので、この水堀は意外だった。

東側の堀
東側は北側より堀幅が広く、湿地のようで雑草が密集している。往時は、水堀、もしくは泥堀だったのだろう。

城内
石段を登り、観音堂の横から城内へ入ると、そこは墓地と畑!

最北部の櫓台
観音堂のところから右(西)を見ると、櫓台らしき土塁があり、その向こうには信濃川が見える。往時は、 この真下まで水がきていたらしい。

土塁
城内東を見ると、高さ2mほどの土塁が良好に残り、南の方へずっと続いている。

虎口?
南の方へ入って行くと、城址の中間辺り左手(東) に北部分と南部分の土塁の位置がずれた喰い違い虎口のような箇所があるが、これはどういうものなのか・・・? 後世になって改変されたものだろうか?いずれにしても、写真手前の土塁は、曲輪(Ⅲ郭とⅣ郭)を分けていたもののようだが・・・?

東側南部分の土塁
上写真のところから、さらに南へ続く土塁がよく残っている。

Ⅰ郭周囲の空堀と土塁
Ⅰ郭の北と東側は土塁と空堀で囲まれている。北(右)側の空堀は、東(手前) の方へと延びてⅡ郭とⅢ郭を遮断していたようであるが、その部分はかなり埋められて分かりづらくなっている。

Ⅰ郭虎口
Ⅰ郭への虎口は真っ直ぐに入って行ける単純な虎口である。

Ⅰ郭東側の空堀
2段上の写真の左へと続く空堀で、Ⅰ郭虎口手前右側に当たる。

Ⅰ郭土塁
Ⅰ郭は、東と北側は土塁に囲まれ、南と西側は断崖になっている。

Ⅰ郭
Ⅰ郭は城の最南西端にあり、それほど広くなく長軸30mほどで、三角形状のいびつな形をしているが、 本来はもっと方形に近い形をしていたらしいが、信濃川の流れにより、かなり削られてしまったという。

Ⅰ郭から見下ろす水田と信濃川(西方面)
Ⅰ郭の南と西側は急崖であり、眼下の水田との比高差は15mほどであろうか。一面に広がる水田も、 往時は信濃川流域であったのだろう。

Ⅰ郭から見下ろす水田と信濃川(南西方面)
Ⅰ郭は、信濃川の流れにより、かなり削られてしまったというのが窺い知れるような感じの崖で、 端の方へ近づくのが怖いような感じだ。

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