信濃 青柳城(筑北村)

一ノ郭北側の石垣

戦国の小領主青柳氏の詰の城、小笠原・武田・上杉氏の抗争の間で

所在地

長野県東筑摩郡筑北村坂北東山
【行き方】
登城口は山麓にある清長寺(青柳氏館跡)の大手口からと、山上の搦手口の2ヶ所あるが、私は搦手口から登城した。
搦手口へは、坂北駅から碩水寺(筑北村坂北矢花山寺1044-1)へと進み、その道を通り過ぎ道なりに2.5kmほど登って行った所にある

形状

山城

現状・遺構等

現状:山林(青柳城址公園)
遺構等:郭、土塁、堀切、石垣、模擬櫓門、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2007/10/28

歴史等

この地の豪族・麻績(おみ)氏の一族・青柳氏の居館・青柳氏館の詰めの城であった。青柳氏は、信濃守護職・小笠原氏に属し、坂北村と本城村の大部分を本領にしていた。
天文22年(1553)の武田信玄と小笠原長時の戦い以降、青柳氏は武田氏に属し、上杉勢に対抗していた。信玄は、川中島への拠点として城を改修し、ここに10日間泊まっている。しかし川中島で上杉謙信の攻勢が強まると青柳城は焼かれて、武田軍は深志城まで撤退した。
天正10年(1582)武田氏滅亡後は、織田氏の支配を経て、小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。
天正11年(1583)4月から翌年までの1年間、小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここ青柳城と麻績城の取り合いが4回繰り返された。
青柳氏は、小笠原氏-武田氏-織田氏-上杉氏-小笠原氏と従ってきたが、天正15年(1587)青柳頼長が、小笠原貞慶によって謀殺され、青柳氏は滅亡して、小笠原氏の家臣松林氏が在番している。
実戦の行われた数少ない城のうちの1つである。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。
『現地説明板他より』

現況・登城記・感想等

城は典型的な連郭式山城で、郭が直列に並び、その間の多くが堀切で断ち切られている。その中には二重堀切もあり、なかなか見応えがある。また、一の郭の北側には布目積みの見事な石垣が残っている。
一の郭には標高950.96mの三等三角点が建ち、そこから眼下に見下ろす町並みと正面に聳えるなだらかな聖山、また遠くの山並みの景色は素晴らしく、まさに信州の山城に登城したことを実感させてくれる。
規模はそれほど大きくはないが、充分満足させてくれる山城であった。
(2007/10/27登城して)

ギャラリー

青柳城址遠景(山麓の青柳氏館跡から)
青柳城への登城口は、山麓にあるこの清長寺(青柳氏館跡)の大手口からと、山上の絡手口の2ヶ所があるが、私は搦手口から登城した。
DSC02888

模擬櫓門
搦手口からの城址への入口には模擬櫓門が建っていた。
DSC02802

最初に出会う竪堀
模擬櫓門右側から歩き始めてすぐにこの竪堀に出会うが、かなり埋ってしまっている。
DSC02806

二重堀切
そして、早速この二重堀切に。この堀切は竪堀に連続させた大規模なもので、見応えがある。この城址最大の見所かも。
DSC02809

上写真二重堀切の手前(東側)の堀切と奥(西側)の堀切
DSC02814 DSC02815

堀切(上写真)から山麓まで落ちていく竪堀
DSC02812

二重堀切(上の二重堀切を西側から撮影)
こちら側から見てもなかなか良い。ついつい何枚も写真を撮ってしまった。
DSC02819

大堀切
次にこの大堀切に出会う。正面はかなりの急斜面で滑りそうになった。
DSC02826

腰曲輪の井戸跡?or虎口?
上写真の左側の腰曲輪に石組みされたような穴があった。説明がなく分からなかったが井戸跡か虎口?
何故か立ち入り禁止になっていた。この辺りは石がゴロゴロ転がっていた。
DSC02824

五の郭手前(東側)の二重堀切
またまた、二重堀切に出会う。この二重堀切の規模もかなりのものだ。
DSC02829

五ノ郭手前(東側)の二重堀切(五ノ郭側から撮影)
DSC02834

五の郭手前の堀切から繋がり、山裾へと落ちていく竪堀
DSC02831

五の郭東側の土塁
五の郭の背後(東側)には土塁があり、上写真の二重堀切と共に城を防御する。
DSC02835

五の郭
この五の郭から城の主要部へと入り、一の郭へと続く。奥の土塁は上写真土塁。
DSC02837

土橋(五の郭・四の郭間)
五の郭と四の郭の間も浅くなってはいるが堀切で断ち切られ土橋が設けられている。土橋の奥が四の郭。
DSC02838

模擬冠木門と二の郭・一の郭
写真手前は三の郭。模擬冠木門のすぐ上の段が二の郭で、その奥上が一の郭。一の郭の左(北)側に石積みが見える。
山麓の館からの大手道はここに上がって来る。二の郭へ登る部分(二の郭の左側の凹んだ部分)は、少し折れた坂とし、右手から攻撃する。ここから一の郭への守りは、土塁と道の折れと坂とを用いて厳重である。
DSC02866

二の郭から一の郭を
DSC02865

一の郭北側の石垣
一の郭の北側には布積みの石垣がしっかり残っているが、何故、北側にしか無いのであろう?
この石垣は信州の城址でよく見かけるタイプの石垣である。小笠原貞慶時代の拡張時に築かれたらしい。
DSC02846

一の郭への虎口
鍵の手に曲げて登り難くしている。武田信玄時代のものらしい。
DSC02847

一の郭
標高904.96mの3等三角点が建っている。
DSC02848

一の郭東側(虎口横)の土塁
DSC02849

一の郭西側の土塁(物見櫓台跡か?)
DSC02851

一の郭からの眺望
眼下に見下ろす町並みと正面に聳えるなだらかな聖山、また遠くの山並みの景色は素晴らしく、まさに信州の山城に登城したことを実感させてくれる。
DSC02854

DSC02853

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント