三の丸下の腰曲輪とその向こうに上信越自動車道
上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道をおさえる武田信玄の前進基地
別名
対面城
所在地
長野県中野市豊津、替佐城址公園
形状
山城
現状・遺構等
現状:山林(替佐城址公園)
遺構等:曲輪、土塁、空堀、竪堀、堀切、土橋、標柱、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/10/29
歴史等
替佐城は、永禄7年(1564)ごろ築かれたと推定されている。
北信濃の制圧をめざす武田勢とその防衛をはかる上杉勢が川中島平で激しく争った当時、武田方の前進基地として重要な役割をはたした。
この城は、上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道
(千曲川通り)を、東岸からおさえる壁田城(へきだじょう)とともに、西側からおさえるもので、また、
北永江方面を経て上杉方の国境野尻城へも備えていた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
替佐城へは本丸直下の駐車場まで車で上がって行ける。
替佐城は大きく分けて本丸・二の丸・三の丸の3つの曲輪からなり、その間は堀切で分かれている。
それらの曲輪の周りには帯曲輪や累段になった腰曲輪が付いている。
まず駐車場前にある説明板の前を通って登って行くと、本丸と二の丸間の堀切に出る。この堀切はなかなか見応えがある。ただ、
城址公園とは云いながらも草を刈ってから大分経つのか、藪がひどく、この堀切は通れそうになかった。
本来、その堀底から本丸へ登れるようであったが、諦めて右(南東)へ行くと左側(北)には二の丸への急な階段が、そして右側(南)
には三の丸との間の堀切がある。
二の丸は、あまり広くないが、先ほどの堀切越しに本丸が見え、その遠く向こうの山容が美しい。三の丸との間の堀切は浅く、
その端の方に土橋が確認できる。土橋を渡り三の丸へと出る。
三の丸下には2段のはっきりと分かる腰曲輪があり、木々の葉が見事に紅く染まり、
その隙間から眼下に上信越自動車道や千曲川などを望む景色が魅力的だった。
一旦駐車場まで戻り、標柱の左側の道から本丸へ向かい登城した。本丸下にはかなり広い腰曲輪があった。先ほどの本丸・
二の丸間の堀切を通って来るとここへ出てくるようだ。そこから本丸へと登って行った。
本丸には東屋が建っているだけであるが、眺望は素晴らしく、千曲川対岸には壁田城も見える。
(2007/10/29登城して)
ギャラリー
さあ登城
まず駐車場前にある説明板を見て、その前を通って登って行った。
本丸・二の丸間の堀切
この堀切はなかなか見応えがある。ただ、城址公園とは云いながらも草を刈ってから大分経つのか、藪がひどく、
この堀切は通れそうになかった。写真手前は良いが、奥の方は大変な藪で、腰のあたりまで草が伸びていた。本来、その堀底(写真奥左側)
から本丸へ登れるようであったが、諦めて手前を右(南東)の二の丸方面へ行った。
二の丸
二の丸は、あまり広くないが、先ほどの堀切越しに本丸が見え、その遠く向こうの山容が美しい。
ここも草茫々で奥の堀切・本丸方面には入って行けなかった。
二の丸・三の丸間の堀切と土橋
堀切は浅く、写真左端の方に土橋が確認できる。
三の丸下の腰曲輪 ~クリックにて拡大画面に~
三の丸下には2段のはっきりと分かる腰曲輪があり、木々の葉が見事に紅く染まり綺麗だった。
三の丸下の腰曲輪からの眺望 ~クリックにて拡大画面に~
木々の隙間から眼下に上信越自動車道や千曲川などを望む景色が魅力的だった。
本丸へ再登城
本丸・二の丸間の堀切の所から本丸へ行けなかったので、一旦駐車場まで戻り、
標柱の左側の道から本丸へ向かい登城した。しかしこの道、綺麗に整備されているけど、説明板には載っていない道なんだけど・・・。
駄目元での再登城であった。
本丸下の腰曲輪
駄目元での再登城であったが、大正解。この本丸下の腰曲輪への道はよく整備され、
途中腰曲輪もいくつか見ることが出来た。この本丸下の腰曲輪は結構広い。先ほどの本丸・二の丸間の堀切を通って来るとここへ出てくるようだ。
本丸
本丸には東屋がポツンと建っているだけで、石碑等案内するものは何も無かった。
本丸からの眺望
本丸からの眺望は素晴らしく、上杉方の拠点飯山城へ通じる谷街道(千曲川通り)を、
西側をおさえる当城と共に東側をおさえる壁田城も見える。