本丸の南西を断ち切る大堀切
伴野氏詰の城、信玄が佐久支配、小県侵攻の拠点とした
所在地
長野県佐久市前山(前山寺裏、北東の山)
前山寺:佐久市前山816、電話0267-62-3452
形状
山城(標高726m、比高60m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、堀切、竪堀、標柱、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/12/25
歴史等
鎌倉~室町時代に佐久群西部に威をふるった伴野氏は、伴野庄の地頭として当初は野沢館に拠ったが、室町中期にいたって、詰めの城として前山城を築き、後には本拠をこの前山城に移した。
天文17年(1548)武田信玄によって落城、伴野氏は信玄に従った。以後、信玄は前山城を佐久支配、小県侵攻の拠点とした。
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、伴野氏は北条氏に与したが、徳川方の依田(芦田)信蕃に攻められ落城、城主伴野信守は討死し、伴野氏は滅亡した。
『現地説明板ほか参照』
現況・登城記・感想等
前山城は、蓼科山の一支脈の北東突端に位置し、突端部から本丸・二の丸・三の丸が連郭式につらなり、各曲輪間には堀切が切られている。北西は断崖の下を中沢川が流れ、北東・南東の2方は急傾斜に曲輪を設けている。
本丸は、公園として整備され、神社が鎮座している。括れの先の突端部には物見台のような見晴らしの良い高台があり、東屋が建てられている。
その下には、段曲輪様の塁段があり、林檎畑になっているが、元々の段曲輪を畑として利用したのか、改変したものかは分からない。おそらく、その両方であろう。尤も、あまりにも急崖上にある上、道も狭いので、今では林檎は摘み取られていないようであったが・・・。
本丸奥(南西)は一段低い腰曲輪があり、その奥には立派な堀切が切られている。堀切は上部幅約10m近く、深さは主郭側が7m近く、二の丸側が4mほどある。
その堀切の向こう(南西部)は二の丸であるが、冬にも関わらずイバラだらけの藪( ̄ー ̄;。おそらく夏場は入って行くのは大変だろう。
二の丸と三の丸間にも堀切があったようだが、すこし窪んでいるだけで、ほとんど分からない。勿論、三の丸も藪・藪・藪である。
三の丸の奥(南西)には土橋のような細い尾根があり、その向こう(南西)には、この城の最大の見所・二重堀切がある。その堀切は、どちらも深さ4m以上、上部幅10m近くある見事なものだ。
(2008/12/25登城して)
ギャラリー
【登城記】
登城口がよく分からず、見たところ比高はせいぜい50~60mほどであったので、今回は前山寺の先(西)にある霊園の中を登って行った。一番高いところにある墓で道が無くなったので、残り比高20mほどは、直登して尾根上まで上がった。
そこからは尾根上の藪の中を、とにかく東へ東へと歩いていった。かなり進んでも、城跡らしき雰囲気もなく、本当に心配した。やっと立派な堀切(二重堀切)へと出た時は、その素晴らしさよりも何よりも「ホッとした」というのが正直な印象だった。
城の南西の尾根上を行く!
今回は、城の南西尾根上を、ただただ北東へと藪の中を歩いて行ったが、城跡らしき雰囲気は全く無く、ここで本当にいいのか心配になってきた。
最西端の堀切
5~6分ほど行くと、この堀切が見えてきた。本当にほっとした。
堀切を堀底にて撮影
深さ4m、上部幅10mほどの立派な堀切だ。ここから真下へ竪堀となって落ちていっている。堀底には、「前山城 堀切」と書かれた標柱が立っていたが、ほとんど錆びてしまっている。以前は、この辺りまで整備がされていたのだろう。
2つ目の堀切
最初の堀切を越え、土塁上に登ると次の堀切が見えた。「二重堀切なんだ」と感動!!
堀切を堀底から撮影
この堀切も深さ4m、上部幅10mほどの立派な堀切で、崖下へと竪堀となって落ちていっている。こちらの標柱は、完全に錆びていて字が全く読めない。
振り返って二重堀切を
2つ目の堀切の土塁を登り、振り返ると二重堀切の見事な姿がよく分かった。この城の最大の見所であろう。
土橋
二重堀切を過ぎるとすぐに細い尾根道へ出る。私は、これは明らかに両側が削ってあるようで、土橋だ。
土塁残骸?
土橋を渡り藪の中をしばらく進むと、少し窪んだような所(元堀切?)があり、二の丸へと入ると、土塁の残骸のようなものが現れるが、土塁?それとも塚?
本丸南西の大堀切
さらに藪の中を進むと、正面に高台が見え、その下に大堀切が見えてくる。
堀切を堀底にて
この大堀切は上部幅10m近くあり、深さは主郭(右)側で7m近く、二の丸(左)側で4mほどある。「じごくのがけのぼり」と書かれたカラフルな板(写真上)がつるされ、二の丸側にはロープがつるされていた。この堀底に立つ標柱は新しく、字もはっきり分かる。本丸からこの辺りまでが、公園らしく整備されているようだ。
本丸
本丸は35m×20mほどの広さで、神社奥の一段下に腰曲輪があり、写真右手前には物見台のような高台がある。
物見台?
本丸の北東の括れの先の突端部には物見台のような見晴らしの良い高台があり、東屋が建てられている。
物見台からの眺望と段曲輪
物見台からの眺望は良く佐久平方面がよく見える。その下には段曲輪のようなのがある。。
段曲輪
物見台の北東下には段曲輪様の塁段があり、林檎畑になっているが、元々の段曲輪を畑として利用したのか、改変して畑にしたものかは分からない。おそらく、その両方であろう。尤も、あまりにも急崖上にあり、道も狭いので、今では林檎は摘み取られていないようであったが・・・。
本来の登城入口
段曲輪の横を下りてくると本来の登城口へ出た。登城口は、ほかにももう一つあるらしい。ただ、ここまで下りてくるのに、結構急坂な上、地面が濡れていて、おまけに幾重もの落ち葉で非常に滑りやすく、登城した際の道なき道が正解だったかも!?
全景
上写真の本来の登城口から前山寺霊園駐車場まで約500~600mほど山沿いに戻った。前山の町から見上げると、本丸に鎮座していた神社や本丸奥の堀切がはっきり確認できた。尚、途中には伴野神社もあった。
伴野神社