越中 願海寺城(富山市)

城は埋没し、城址碑と説明板が建てられているだけ

上杉謙信方の武将・寺崎民部左衛門盛永が築城、織田勢に攻められ落城

所在地

富山県富山市願海寺
【行き方】
県道44号「願海寺信号」を南へ入り、150m程南下し、3本目の路地を右折すると正面左手に城址碑と説明板。この周辺一帯が城跡です。

形状

平城

現状・遺構等

現状:住宅地、田園他
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2007/06/09

歴史等

願海寺城は、上杉謙信方の武将・寺崎民部左衛門盛永が居館の南に隣接した願海寺を焼討ちし、その跡に築城したとされている。
この城は「実城」と「二之廻輪」と呼ばれる少なくとも2つの曲輪があり、また周囲を湿地で囲まれていたため堅固な守りであった。
しかし、天正9年(1581)に織田信長勢に攻められ落城し、願海寺城の名前も歴史上から姿を消し、江戸時代になると、城跡は水田となった。
そのため、城の位置についてはこれまで分からなかった。願海寺地内の賀茂神社周辺や「願海寺の七曲り」 と呼ばれる古道の存在から集落の南部にある小字「舘本」地内に城があると考えられてきた。
平成14年5月に舘本地内で行った発掘調査で、二重の水堀を巡らす戦国時代の居館跡が検出された。
『「現地説明板」、「富山城内、富山郷土博物館展示」より』

現況・登城記・感想等

城跡は開発で完全に埋没し、城址碑と説明板があるのみである。
城址碑がある所から50m程西にある、雇用促進住宅や賀茂神社の辺りが、城の主郭部だったようである。

ギャラリー

石碑
「宮崎家19代○○、 20代○○建立」となっているが、この城主と関係ある方なのかなあ?

主郭部
正面の「雇用促進住宅」や右奥の「賀茂神社」の辺りが、城の主郭部だったようである。

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