曲輪西下の長~く延びる横堀
加賀と越中の国境分水嶺にある山城は古くから合戦時に度々利用された
所在地
石川県金沢市松根町
【アクセス】
チェリーゴルフクラブ金沢東コースの北約500mが松根城跡です。道そのものはややこしくて説明が難しいですが、国道359号線でチェリーゴルフクラブ金沢東コースを目指して行き、ゴルフ場が近くなると、「松根城跡」の案内板が立っています。その後も、次々と案内板があるので、それに従って進めば城跡のすぐ下へ辿り着きます。
チェリーゴルフクラブ金沢東コース:金沢市竹又町10字13、電話076-257-5321
所要時間
今回の見学時間は1時間弱
形状
山城(標高309m、比高120m)
現状・遺構等
【現状】 城址公園(山林)
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀(横堀、堀切、竪堀)、虎口、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2006/05/02
2016/11/25
歴史等
加賀国と越中国を結ぶ国境沿いの街道には幾つもの山城、加越国境城跡群が築造されており、松根城は、加賀と越中を、結ぶ最短距離の道として利用されていた小原越の峠にあり、古くから合戦のある時々に利用されていた。
最も古いのは、源平合戦のときの寿永2年(1183)、木曽義仲がここに布陣したという伝承がある。 その後、南北朝の戦乱期の応安2年(1369)、 ここに陣する越中の桃井直和を能登の吉見左馬助らが攻略したといわれる。 さらに、文明年間(1469-1487)に一向一揆の首領の一人・ 洲崎兵庫(慶覚)がここに陣したと伝えられ、長享2年(1488)と天文19年(1550)にも加賀の一向衆徒が布陣したと伝えられる。
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いのあと、秀吉に降伏することで越中に留まった佐々成政は、翌天正12年(1584)の小牧長久手の戦いを機に秀吉に反旗を翻し、秀吉方の前田利家と敵対した。 成政は、8月に朝日山城を攻撃した後、9月には末森城を攻めたがいずれも失敗し、次第に前田勢が優勢になり秀吉遠征軍の登場によって成政は降伏した。 この後、越中の西半分が利家の長男利長に与えられたことで、加越国境付近の緊張状態は解消され、城群は不要になったと考えられる。 松根城は、末森城を攻めた際に成政の出城として、その家臣・杉山隆重にここを守らせたが、その時使用したのが最後となった。
『現地説明板参照』
現況・登城記・感想等
どうも松根城とは相性が悪いようです。前回は濃霧で眺望は勿論、すぐそばで見る遺構さえよく分からないほどでしたが、今回は本格的な雨です。しかも、日本中が晴天なのに、北陸地方だけが雨のようです(;>_<;)。まあ雨とはいえ、遺構ははっきり見えるし、眺望もそれなりに見えたので良しとするしかないですね。
松根城は、尾根筋最高所(標高309m)に本丸を置き、その北側に二の丸と三の丸を、南側に3段の曲輪を配置する基本的に連郭式の山城で、その規模は南北440m、東西140mほどです。
そして、それら曲輪の東西の切岸下の横堀をはじめ、堀切や竪堀等々多くの空堀が設けられ、それらの多くが良好に残っています。
また、南側の小原越えの街道に向けた馬出し虎口も良好に残っています。
(2016/11/25登城して)
ギャラリー
加越国境城砦群(現地説明板より)
加賀国と越中国を結ぶ国境沿いの街道には幾つもの山城、加越国境城跡群が築造されており、松根城は、加賀と越中を、結ぶ最短距離の道として利用されていた小原越の峠にあり、古くから合戦のある時々に利用されていた。
松根城縄張り絵図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
松根城は、尾根筋最高所(標高309m)に本丸を置き、その北側に二の丸と三の丸を、南側に3段の曲輪を配置する基本的に連郭式の山城で、その規模は南北300m、東西100mほどです。そして、それら曲輪の東西の切岸下の横堀をはじめ、堀切や竪堀等々多くの空堀が設けられ、それらの多くが良好に残っています。また、南側の小原越えの街道に向けた馬出し虎口も良好に残っています。
松根城跡案内図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
【馬場周辺】
小原越(道)
松根城は、城の南側を通る小原越(道)を押さえる城であったと思われます。現在は、北側の内山峠を主要道路(国道359号線)が通っているため小原越(道)は衰退していますが、隣接するチェリーゴルフクラブ金沢東コースまで車道があるので城跡まで車で登って行くことができ、二俣になっているところを小原越(道)方向へ入って行くと、松根峠(右)と馬場跡(左)への分岐点へ出ます。分岐点には「小原道跡」と刻まれた石碑が立っています。写真奥が松根峠への小原越(道)です。
大手虎口
分岐点の左側には大手虎口がありますが、車道にするために拡張されているようです。
馬場跡(馬場広場)
大手虎口を入って行くと、馬場跡(馬場広場)と呼ばれている広い平坦地があり、その南西隅(写真右上)には櫓台のような高台が残っています。
馬場広場は、かなりの広さがありますが、案内板などを見ると多くの小屋が描かれており、ここには武士の建物群があったところのようです。
櫓台(物見台)
馬場広場の南西隅の高台については、案内図にも縄張図にも何も説明がありませんが、明らかに物見台と思われます。
物見台から南方面を見下ろす
物見台からは眼下にチェリーゴルフクラブ金沢東コースが見え、その遥か彼方まで望むことが出来ます。
南西の尾根を断ち切る大堀切
馬場の西側は大堀切で断ち切られています。深さも幅も10mほどあるのではないでしょうか。下りて行きたいところですが、残念ながら熊笹に覆われていて(/。ヽ)。
南側の横堀跡
案内図板によると、往時は馬場の南側にも横堀があったようですが、車道を造成する際に取り壊されてしまったようです。それでも、それなりの雰囲気はあるように思います。
【本丸周辺】
本丸跡
本丸は南北に延びる尾根筋最高所に置かれ、規模は30~35m四方ほどで、削平は甘いです。
尚m土塁などは見られませんが、東西両側は高い切岸で処理されています。
本丸跡に立つ城址碑と説明板
本丸中央には城址碑と説明板が立っています。
本丸南側の堀切
本丸南側は堀切で断ち切られています。
本丸南西の枡形虎口
本丸南側の堀切(上写真)の西側(写真左側)の堀堀切は内枡形虎口になっています。
本丸からの東側眺望(越中方面)
天気に恵まれれば、砺波平野・富山湾・立山連峰が見えるようですが、残念ながらの霧で・・・(/。ヽ)。
本丸からの西側眺望(加賀方面)
一方、西方には、天気が良ければ金沢平野・日本海が見えるようです。
【二の丸と三の丸周辺】
二の丸
本丸の北側には二の丸があります。二の丸は細長い曲輪の上、東側が熊笹に覆われているので、ただの尾根のような状態です。
当写真は二の丸から本丸方面を撮ったものです。本丸とはかなりの比高差があるのが分かります。
二の丸から三の丸を
二の丸の北側の三の丸との間は竪堀で狭められた土橋で繋がっています。この竪堀は、前回(2006/05/02)に登城した際には、はっきり確認できたのですが、今回は熊笹で覆われていました。
三の丸
三の丸は、当城の北端に位置する狭い曲輪で、物見的な位置づけだったのではないでしょうか。
三の丸から北方面を
三の丸の北側下には、熊笹に覆われていて見えませんが、大堀切があります。大堀切の方へも下りて行けるようでしたが、本格的な雨になってきたので断念しました(;>_<;)。松根城の北方面には、味方の城である一乗寺城と、敵方(前田方)の朝日山城があります。
【本丸南側の曲輪周辺】
南曲輪南側の横堀
南曲輪の南下には横堀が良好に残っています。車で当写真の手前まで入って来れます。この手前に松根城跡案内図板が立っています。
南曲輪
上写真の階段を登ると南曲輪へ出ます。ここから左へ向かうと本丸方面、右へ向かうと小原越えの街道に向けた馬出し虎口へ出ます。
馬出し虎口
小原越えの街道に向けた馬出し虎口です。
【曲輪西側の横堀】
南曲輪の西側下には長~く延びる横堀が設けられています。
横堀は本丸南端下辺りで終わります。そして、そこから階段を登って本丸南西部の枡形虎口へ登って行けます。