越前 燧ヶ城(南越前町)

燧ヶ城本丸

源平合戦時代から戦国時代に至るまで幾度も戦場となった城

読み方

ひうちがじょう

別名

燧城

所在地

福井県南越前町今庄
【アクセス】
登城口は何箇所かあるらしいが、JR北陸本線「今庄駅」から南西へ約250mの観音堂または新羅神社が分かりやすい。今庄駅正面から南西へ120m程進んで左折し、約100mほど旧街道今庄宿を進むと道路右手に城址説明板が立っている。この奥の観音堂または、すぐ南東の新羅神社から登る。近くには車を停めれそうなとことがなかったので、今庄駅の駐車場に車を停めて登城した。

所要時間

登城口から本丸まで約20分

形状

山城(標高270m、比高約140m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀、土橋、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2013/05/17

歴史等

燧ヶ城は、木ノ芽峠・栃ノ木峠を経て近江に通ずる街道をを眼下におさめる交通の要衝に位置することから、源平の合戦の頃から戦国時代末に至るまで、数世紀にわたり戦略上の重要な拠点として利用されてきた。
寿永2年(1183)4月、平家は木曾義仲追討のため10万の大軍を北陸地へ差し向けた。この時、越後の国府にいた義仲は、仁科守弘等に命じて燧ヶ城を築かせ、日野川を堰き止めて周囲一帯を水浸しにして立て籠もり、平維盛率いる平家の大軍を迎え撃った。しかし、援軍に来た平泉寺長吏斉明が急に平家に内通したため、城は陥落し敗走した。その後、倶利伽羅峠の合戦で義仲は勝利し、7月には上洛した。
南北朝時代になり、再び燧ヶ城は攻防の戦場となった。延元元年(1336)、今庄入道浄慶が足利方の将として、当城に立て籠もり、南朝方の新田義貞に味方した杣山城の瓜生保軍と対抗した。
戦国時代の天正3年(1575)には、下間頼照ら一向一揆勢が立て籠もり、織田信長軍に抗して敗れた。さらに、天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦の際には、主将柴田勝家自らがここを守った。
『「現地説明板」、「日本城郭大系11」他参照』

現況・登城記・感想等

燧ヶ城跡は、藤倉山(標高643m)から東に延びる尾根の先端部、比高約140mほどの愛宕山山頂にある。
細い尾根に連郭式に郭を配列しただけのシンプルな連郭式山城ではあるが、大手虎口は馬出しと枡形が組み合わされた比較的新しい構造になっており、石垣も用いられている。
中央に位置する本丸は1.5mほどの高さの石垣で区画されている。本丸西側には良好に残る堀切があり、そこに架かる土橋の側面も石垣で固められている。
本丸の東西には石垣が用いられた櫓台様の壇が2つあるが、「日本城郭大系11」によると後世のもののようだ。
燧ヶ城の歴史は古く、源平合戦の頃の寿永2年(1183)の築城だという。恐らく、当初は陣城として築かれた簡素なものであったのを、南北朝時代特有の各郭間を堀切で断ち切っただけの連郭式山城に改変され、さらには、戦国時代末に柴田勝家が入城した際に、虎口等の修築をしたり石垣造りにしたのではなかろうか。
規模こそ、決して大きくはないが、結構見どころの多い城跡でした。
(2013/05/17登城して)

ギャラリー

燧ヶ城縄張略図(現地説明板より)
燧ヶ城は、藤倉山から東へ延びる主尾根の先端部・愛宕山山頂に築かれた東西約300mの規模の連郭式山城である。
燧ヶ城縄張略図

登城口へ
JR今庄駅に車を停め、旧街道今庄宿を南西方面へ歩いて来ると、右手に城址説明板が立っている。この奥の観音堂(写真やや右奥)または、すぐ南東の新羅神社から登る。
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登城口
登城口には、「愛宕山登山道入口」と刻まれた碑と「藤倉山ハイキングコース入口」と書かれた標柱が建てられていた。ハイキングコースだけに、勿論、道は綺麗に整備されている。ここは、カタクリの自生地のようで、コースの両側には虎ロープが張られていた。
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大手虎口
登城口から10数分ほどで尾根上へ出、大手虎口が現れ、いよいよ城域へ入ります。大手虎口へは
石段を登って入る。右上には、藪にかなり隠れているが石垣が築かれている。
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大手虎口の石垣
石垣の高さは2m弱ほどしかないが、しっかりした石垣です。
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馬出し状の郭
大手虎口を入ると、馬出し状の郭があり、その先は堀切で断ち切られ、土橋が架かっている。堀切は、勿論、両側とも山裾へと竪堀になって落ちて行っている。当写真は、土橋を渡ってから、振り返って撮ったものです。
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枡形を形成する石垣
土橋を渡った所は枡形になっており、L字型になった低い石垣が確認できる。
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東郭
枡形虎口を抜けると、本丸の東側の郭へ出る。仮に、東郭としておきます。東郭は、東西に細長い郭で、東西約70m、南北約15mほどでしょうか。
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土塁
東郭を本丸へ向けて西へ進んで行くと、右手に土塁が現れ、一部に石垣が散見される。
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本丸虎口
本丸は、東郭より3mほど高く、石段を登って行く。虎口には、ほとんど加工されてない自然石の石垣が積まれている。
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本丸
本丸の中央には、城址碑が建てられている。
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本丸の東西にある櫓台風の石垣
本丸の東西には石垣が用いられた櫓台様の壇が2つあるが、「日本城郭大系11」によると後世のもののようだ。
(東側の石垣)
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(西側の石垣)
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本丸跡からの景色
草木の元気な5月の登城でしたが、本丸からは、何とか今庄の町並みや山、川の光景が見えた。
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本丸西側の堀切と土橋
本丸の西側には、西郭(仮名)とを区画する堀切と土橋が良好に残っている。
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土橋を固める石垣
土橋は、石垣でしっかり固められている。
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西郭
西郭には「故郷の歴史懐かし愛宕山」という愛宕山子供会の句碑が建っている。
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西郭土塁
西郭も東西に細長い郭で、どんどん西へ向かって歩いて行くと、郭の先端に二重の土塁があり、そこで城域は終わっている。その先は藤倉山に続くハイキングコースとなっている。
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【今庄蕎麦】
今庄といえば、何と言っても「蕎麦」です。町には、多くの蕎麦屋さんがあり、蕎麦打ち体験のできる「今庄そば道場」もある。私は、京都在住時代に、北陸方面へ向かう時は、必ずといっていいほど今庄蕎麦を食べに寄ったものです。
今庄の蕎麦は400年もの歴史がある。今庄は北陸街道の宿場町であり、参勤交代の大名たちも「今庄おろしそば」を食べたという。今庄の蕎麦は、寒暖の差が大きい風土と雪解けの美味しい水に育てられ、小粒で身が引き締まった香ばしい蕎麦の実ができるのだという。

(忠平)
今庄で蕎麦を食べるときは、いつも「ふる里」へ行っていたのですが、今回訪れたら無くなってました。そこで、地元の方に美味しい蕎麦屋さんを教えてもらったら、この「忠平」が一番美味いというので入ってみました。
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(おろしそば&生わさびそばのセット)
「ふる里」もそうでしたが、ここも盛りが少な目なので、最低2杯頼むのが普通のようです。そこで、「おろしそば+生わさびそば」のセット(1,300円)を注文しました。
薄口で香りのよい上品な味で、腰もあると同時に、みずみずしさもあり絶品でした。

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