石橋城跡に建つ慈昌院、門前に標柱(写真右)が立つ
奥平氏2代目貞久の二男久勝の城館
別名
弾正屋敷
所在地
愛知県新城市作手清岳字寺屋敷(慈昌院)
【アクセス】
「つくで手作り村」の国道を挟んだ正面にある「慈昌院」が城跡。
つくで手作り村:作手清岳字ナガラミ10-2、電話0536-37-2772
形状
平城
現状・遺構等
現状:慈昌院
遺構等:曲輪、土塁、空堀、標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/11/28
歴史等
奥平氏2代貞久の次男の奥平弾正久勝が最初の城主で、奥平3代貞昌の家臣になった。
久勝の子、弾正市繁昌は、天正6年(1537)9月に謀反が露呈し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄に屋敷を攻められ郎党40人余が討死した。
後年になり、当山(慈昌院)の第2世徳岩明和尚が繁昌と一族の死を哀れみ亀山城主貞勝に願い出、
弾正屋敷をもらい受けて寺地とし「石橋山慈昌院」とした。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
石橋城は、基本的に単郭方形の館で、ちょっとした微高地にある。。
今は慈昌院というお寺になり、奥に土塁、その外側の竹薮の中に空堀が残っている。
ギャラリー
縄張概図(現地説明板より)
基本的に単郭方形の館である。
寺の裏の土塁と説明板
空堀
土塁の後ろには空堀が残る。多くは、竹薮になっている。