三河 文殊山城(新城市作手)

主郭跡に建つ模擬櫓を見上げる

武田氏との和睦の証として築いた一夜城?

別名

一夜城

所在地

愛知県新城市作手清岳字ケントク
【アクセス】
国道301号「つくで手作り村」から1.8km程北上した「作手総合支所東(旧作手村役場東)信号」を左折し、 300m程進んで左折する(道路に案内あり)。途中、一部未舗装となるが、そのまま終点まで上ると文殊山城の駐車場に突き当たる。 3~4台ほど駐車可能。
「つくで手作り村」の正面にある石橋城 (慈昌院)から徒歩で登ってくる散策コースもある(「つくで手作り村」の駐車場に説明板あり)。
つくで手作り村:作手清岳字ナガラミ10-2、電話0536-37-2772

形状

山城(標高661m、比高160m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀(横堀・堀切・竪堀)、土橋、模擬櫓台、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2010/11/28

歴史等

文殊山城は、亀山城主奥平氏の砦城で、 元亀年間(1570~73)に奥平氏が武田氏との和睦の証として塞之神城と共に築城予定であったが、奥平氏が遅延していたので、 武田氏側より強談に合い、一日にして築いたので「一夜城」と呼ばれた。
主郭中央に、江戸時代に地元有志により奉納された文殊菩薩像が祀られた文殊堂が建てられている。文殊山城の名称は、 この文殊堂が山麓の善福寺奥之院にあたることに因んでいる。
『現地説明板他参照』

現況・登城記・感想等

文殊山城は、曲輪のすぐ下まで車で登って行くことが出来る。
城跡は公園として綺麗に整備され、模擬櫓が建てられ、そこから作手盆地が一望できる。
城の縄張は簡素であるが、勿論、一夜で築かれたようなものではない(笑)。
主郭は東西に長い楕円形で、北側を中心に所々に高さ1~1.5mほどの土塁がめぐっている。往時は周囲全体を囲んでいたのだろう。
主郭裾周囲には、幅3m前後、深さ50cmほどの空堀が設けられている。
(2010/11/28登城して)

ギャラリー

文殊山城縄張略図

主郭
主郭は、東西に長い楕円形で、北側を中心に所々に高さ1~1.5mほどの土塁(写真右奥)がめぐっている。 中央には、江戸時代に地元有志により奉納された文殊菩薩像が祀られた文殊堂(写真やや右)があり、西端には模擬櫓(写真中央奥) が建てられている。

模擬櫓上からの眺望(作手盆地を見下ろす)

主郭東虎口
虎口は東西両側にあるようだが、西虎口は分かりづらかった。

主郭裾周囲をめぐる横堀
横堀は、かなり埋まってしまっているのかかなり浅い。

主郭東下の腰曲輪(馬出し?)前の堀切に架かる土橋
この土橋と写真右側(一段下の右の写真)の竪堀が、この城跡の最大の見どころだろうか。

堀切
上写真の土橋両側の堀切は、竪堀となって山裾へ落ちていっている。

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