三河 蒲形城(蒲郡市)

僅かに残る竹谷松平氏屋敷(陣屋)の土塁

鵜殿氏分家の下ノ郷鵜殿氏の居城、江戸期には竹谷松平氏の陣屋に

別名

下ノ郷城

所在地

蒲郡市上本町(蒲郡高校から南側一帯)
蒲郡高校:蒲郡市上本町8番9号 0533(68)2074

形状

平城(江戸期は陣屋)

現状・遺構等

【現状】 蒲郡高校、宅地
【遺構等】 曲輪、土塁、移築復元門(蒲郡博物館に)
蒲郡博物館:蒲郡市栄町10-22 電話0533-68-1881

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2011/08/14

歴史等

鵜殿氏は、長将の時に上ノ郷鵜殿氏(上ノ郷城)と下ノ郷鵜殿氏とに分かれ、永正年間末に下ノ郷鵜殿氏は又三郎長存を祖としてこの城を構えた。
永禄5年(1562)、宗家の上ノ郷城の落城後も松平(徳川)氏に属して勢力を保っていたが、長龍の時に下総国相馬に移った。
その後一時、深溝松平忠利が入ったこともあったが、慶長17年(1612)に竹谷松平清昌が5千石で入封し、蒲形城の一角に陣屋を構え、明治に至った。
『日本城郭大系9より』

現況・登城記・感想等

蒲形城(がまがたじょう)は、蒲郡市のほぼ中心部にあり、今では市街地の中に埋もれてしまっているが、蒲郡高校から国道473号線を挟んで150mほど南にある稲荷社の南側に江戸期交代寄合であった竹谷松平氏屋敷跡土塁が残っている。
また、蒲郡博物館にも竹谷松平氏屋敷の大手門が移築復元されている。
(2011/08/14訪れて)

ギャラリー

僅かに残る竹谷松平氏陣屋の土塁の西側部分
蒲郡高校の南約150mにある稲荷社の南側に、僅かに竹谷松平氏時代の陣屋の土塁が鍵型に残っている。
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竹谷松平氏陣屋の移築現存大手門
蒲郡博物館に竹谷松平氏時代の大手門(高麗門)が移築されている。文化15年(1818)の建造と推定され、明治初期に宝飯郡御津町(現豊川市)に移築されたが、老朽化により平成3年(1991)9月に、再び当地蒲郡に復元移築された。勿論、海鼠壁は模擬壁である。
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