三河 市場古城(豊田市、旧小原村)

山中に明瞭に残る大堀切

鱸親信が新城(市場城)を築いて移る前の居城

所在地

愛知県豊田市市場町市場前
【アクセス】
本城小学校の北東に見える山が城跡。本城小学校の東約150mにある熊野神社から登る。車は本城小学校の東側下の道路脇の広い場所に駐車したが、熊野神社の東ににある市場集会所にも駐車可。
本城小学校:市場町市場前372-2、電話0565-65-2022

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 山林(比高約30m)
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、空堀、竪堀

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2011/09/25

歴史等

市場古城(いちばふるしろ)の築城年代は定かではないが、室町時代が始まる応永年間(1394~1427)には、足助重春の一族である鈴木重勝が居城していた。
文亀2年(1502)に鱸(鈴木)藤五郎親信が新城(市場城)を築いて居城を移したが、その後も拡張されて、市場城と合わせて使われていた可能性が高い。
『小原郷土館展示資料より』

現況・登城記・感想等

熊野神社境内が東端の曲輪跡のようで、ここから西へと曲輪群が続く。
神社への急な石段の中段から脇道を登って行くと、いきなり竪堀が現れた。登城前には期待していなかったが、予想外に遺構がよく残っていそうだ(*^_^*)。
次に、神社の裏から全く未整備状態の藪の中へ登ると、早速、空堀・土塁・曲輪が現れた。そこから、やぶ蚊と蜘蛛の巣と格闘しながら西の方へ進んでいくと大堀切へ出た。見応え十分な堀切だ。
2日前の備前の登城による筋肉痛が最高に達していて、その堀切を降りて、向こう側の上へよじ登る自信がなかったので、ここでギブアップ(/。ヽ)。
というわけで、主郭部には到達できなかった(;>_<;)。 また登城チャンスもあるだろう??
市場古城跡は、全く整備がされていないが(されていないからかも?)、ここまで見ただけでも遺構が実に良好に残っているのが分かる。遺構を壊さないで、少しだけでも整備してもらえれば見事な城跡が現れるだろう。
(2011/09/25登城して)

ギャラリー

市場古城跡全景
本城小学校の東側から撮ったものである。市場古城は、この丘陵の比高差20mほどの西側(写真左側)から東(右)に延びる尾根上に立地している。尚、市場城は、この尾根の西続きの山頂に立地する。
IMG_6251

竪堀
尾根の東南端に鎮座する熊野神社への急な石段を登り、その中段辺りから左(西)へ周る道を登って行ったら、早々に、左手上に竪堀が見えた。
IMG_6274

空堀
神社裏手の雑木林の中へ突入すると、いきなり土塁と空堀が現れた。この空堀で、今は神社が鎮座する曲輪(或いは城外?)との間を断ち切っていたようだ。尚、この空堀は、登って来る時に見た竪堀(上写真)へと続いているようだ。
IMG_6263

土塁
土塁も明瞭に確認できる。まさに完存といえるのではと思われる。
IMG_6258

曲輪
土塁の右(北)側には削平地があり、曲輪跡だと分かる。
IMG_6261

曲輪
上の写真では分かり辛いので、曲輪奥まで入って行き、振り返って撮ったものをもう一枚。
IMG_6265

大堀切
さらに西へとやぶ蚊と蜘蛛の巣と格闘しながら進んでいくと、大堀切(TOP写真と同じ堀切)が現れた。主郭部は、その先約150mほどのところにあるようだが、堀切は堀底から手前側上まで約4~5m、向こう側上までは約6~7mほどあり、上部幅は10m近くあるだろう。2日前の備前の登城による筋肉痛が最高に達していて、その堀切を降りて、向こう側へよじ登る自信がなかった上、向こう側の藪は更に強烈なようだ(;´▽`A``。 というわけで、ここでギブアップ(/。ヽ)。
IMG_6266

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