富岡神社にたつ城址碑と説明板
織田信長の弟信与が、一向宗門徒を滅ぼすために築いた城(砦)
読み方
こきえじょう
別名
小木江城、古川城
所在地
愛知県愛西市森川町村仲、富岡神社
道の駅「立田ふれあいの里」の東側を流れる川の反対側の森(富岡神社)
形状
平城(砦)
現状・遺構等
【現状】 富岡神社、田園
【遺構等】 石碑、説明板
満足度
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訪城日
2011/11/18
歴史等
永禄・元亀(1558~73)の頃、信長は織田一族の内訌を次第におさめ、さらに今川氏と戦い、また、伊勢長島の一向宗門徒とも争っていた。
当時、この地方には一向宗が広がっていて、真宗門徒のその教義に対する信心は絶大なもので、信長の意向に反抗した。
この城は木曽川下流域にある平城で、対岸の長島に近く、信長は長島の一向宗門徒を滅ぼすために、弟の信与に、この古木江に城を築かせ、門徒勢力の分断をはかった。
元亀元年(1570)、信与は、弥富の服部党や近くの農民に囲まれ、6日間戦ったが、兵力が少なく城に攻め込まれ自害した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系9」より』
現況・登城記・感想等
石碑と説明板がたつ富岡神社は、城の一角に鎮守としてあったと考えられているそうだ。
城の西側は川が流れ、他の3方はレンコン畑などになっている。当時は、川と沼地に守られた城砦だったのだろう。
(2011/11/18訪れて)
ギャラリー
田園と筏川に囲まれた富岡神社を