内藤氏が築城にかかるも矢作川の氾濫で断念、七州城に移動
別名
挙母城、佐久良城
所在地
愛知県豊田市元城町(桜城址公園)
【行き方】
名鉄豊田市駅から東へ「喜多町3信号」を右折し、300m程南下すると、左手に桜城址公園。
形状
平城
現状・遺構等
現状:桜城址公園、市街地
遺構等:隅櫓台、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2006/08/26
歴史等
桜城は、寛延2年(1749)、本多氏にかわって上野国安中から内藤氏が挙母藩に入り、内藤氏初代藩主・政苗(まさみつ)によって着手された。三重の本丸、二重の隅櫓、周囲720mの堀を巡らした総面積32haの本格的城郭計画であった。しかし、度重なる矢作川の大洪水により築城は断念され、新たに童子山に七州城が築かれた。内藤氏以前の三宅氏時代の居館に桜が植えられていたことから桜城の別称が伝えられている。
『現地説明板参照』
現況・登城記・感想等
桜城隅櫓台は豊田市の市街地のど真ん中の小さな城址公園内に残っていた。わずかな遺構ではあるが、こんな所によくぞ残っていてくれたものである。
昨年(2005年)、発掘調査が行われ二の丸の石垣や瓦等々が出てきて、今年(2006年)3月21日、現地説明会があったとのことである。しかも結構規模も大きかったようである。
(2006/08/26訪城して)
ギャラリー
隅櫓跡
小さな城址公園に隅櫓跡だけではあるが、豊田市の市街地のど真ん中によくぞ残っていたものだ。
隅櫓台の真下に。これは何?。井戸跡?