三河 細川城山城(岡崎市)

郭と周囲の土塁跡

細川氏始祖の城

所在地

愛知県岡崎市細川町字城山
蓮性院(岡崎市細川町権水56)の隣の丘陵

形状

丘城(比高10mほど)

現状・遺構等

現状:雑木林、畑
遺構等:曲輪、土塁、墓

満足度

★☆☆☆☆

歴史等

鎌倉幕府1200年代、足利一族の足利義季が、当地細川郷のここ城山に城を築き、 地名細川郷より細川義季と名乗り細川家の始祖となった。
細川一族は、南北朝期(1338年)に京都に上洛し、足利尊氏・2代将軍義詮に忠誠をつくした。
その後、細川松平氏の城となったようである。
『「蓮性院由緒」参照』

現況・登城記・感想等

登城計画を建てるまで、細川氏が岡崎市から始まるとは全く知らなかった。本当にビックリ!!
そこで、まず最初に蓮性院へと向かった。蓮性院も城郭の一部だったようである。蓮性院の裏には、細川義季、 頼之の宝筐院塔と細川松平家3本の石塔があった。蓮性院には、平成7年10月に、 細川家の子孫である79代総理大臣細川護熙が墓参をしており、墓参記念碑もあった。
蓮性院の隣の低い丘が細川城山城址である。登城道を登って行くと、土塁跡や腰曲輪(かなり狭いが)があり、 それなりに城の雰囲気が感じられないこともない。主郭跡は畑になっており、2方に土塁が残っている。
城そのものは、大したことはないが、あの細川氏が、ここから始まったのかと想像すると、感慨深いものがある。
(2007/04/28登城して)

ギャラリー

㊧登城道、㊨腰曲輪?(登城道の右下にあった)
登城道を行くと、土塁跡や腰曲輪(かなり狭いが)があり、それなりに城の雰囲気が感じられないこともない。
 

主郭
主郭は畑地になっているが、 2方の土塁が残っており、城址であることが充分分かる。

本丸への虎口
中央虎口の奥がやや高くなっており、主郭である。

全景
道路の左側の丘陵が城址、 右側が蓮性院。どちらか云うと蓮性院の方が高い。

細川義季、 頼之の宝筐院塔と細川松平家3本の石塔
左から細川頼之、義季の宝筐院塔。 右3本が細川松平家3本の石塔

79代総理大臣細川護熙の墓参記念碑
平成7年10月に、 細川家の子孫である79代総理大臣細川護熙が墓参をしており、墓参記念碑が。

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