三河 知立城(知立市)

城跡の児童公園に建つ高い円柱形の城址碑

知立神社神主永見氏の居館、江戸期は将軍上洛時の休泊用御殿に

別名

知立古城

所在地

愛知県知立市西町西(児童公園)
旧国道419号線「刈谷道信号」から、北東へと70mほど行くと左側に現れる児童公園が知立城址である。

形状

平城

現状・遺構等

現状:児童公園
遺構等:井戸?、石碑、説明板

満足度

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訪城日

2008/06/06

歴史等

知立城(ちりゅうじょう)は、元来知立神社の神主であった永見氏の居館であった。
同氏の系譜を記した「永見氏家譜」には、平安時代末に後白河院の北面の武士として「保元・平治の乱」 に従軍した13代貞春の代に既にその名が記され、29代貞英まで続いたが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで落城した。
その後、天正年間に刈谷城主水野忠重が織田信長饗応のため約3千坪 (1万㎡)の土地を整備した。
寛永年間には将軍上洛用(将軍の休泊用御殿)にと増築も行われたが、元禄12年(1699)の大地震により倒壊した。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

城跡である児童公園に円柱形の高い城址碑が立っている。
公園隅には明治天皇の碑も立っている。明治天皇がここに寄ったことの記念碑らしい。
公園入口には御殿絵図、東海道案内図、説明板が設置されている。また、公園内には御殿址の石碑や石造の井戸があるが、 この井戸はいつの頃のものだろうか?
(2008/06/06訪れて)

ギャラリー

知立城址
知立城址の児童公園には円柱形の高い城址碑が立っている。また、公園入口には御殿絵図、東海道案内図、 説明板が設置されている。

御殿址の碑

井戸跡?
公園に入ってすぐ右に石造の井戸が残っている。いつの時代のものだろうか? 桶狭間合戦後に織田信長の饗応のために増築した時のもの?或いは、江戸時代に将軍上洛用(将軍の休泊用御殿)にと増築した時のもの?或いは、 明治天皇が寄った時のもの?説明板が欲しいところだ。

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