城跡に建つ薬師寺
服部党・一向門徒勢を攻めるために織田信長が築いた砦
所在地
愛知県弥富市鯏浦町(うぐいうらちょう)上六(かみろく)49(薬師寺)
薬師寺:電話0567-67-0971
形状
平城
現状・遺構等
現状:薬師寺
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2008/09/23
歴史等
鯏浦(うぐいうら)城は、この辺りに勢力のあった服部党・一向門徒勢を攻めるため、永禄8年(1565)に織田信長が築いた砦で、
城守は織田彦七郎信興(信長の弟)であった。
信興は、元亀元年(1570)、小木江城(立田村)で服部党ら門徒勢に攻められて戦死した。
これを機に、信長は服部党ら門徒勢を攻め、3度目の天正2年(1574)には大軍を送り込んで、ことごとく焼き尽くした。
鯏浦城跡には、信興が念持仏としていた薬師如来像を納める御堂が建てられ、これが明治時代の初めに薬師寺となった。
城跡の碑は、薬師寺境内の大楠のもとに昭和51年に建てられた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
この辺りは名古屋通勤圏で宅地が密集し、今は、薬師寺の境内に石碑と説明板が立っているだけである。
(2008/09/23訪れて)
ギャラリー
大楠のそばに立つ石碑と説明板
薬師寺境内には大楠が聳えている。その大楠のもとに石碑と説明板が立っている。大楠は、
樹齢600年以上ともいわれ、目通り8.3mに及ぶ。里人はこの楠の葉を薬として用い、病を治したと言われているそうだ。また、
この付近はかつての海岸線にあたり、信長の服部党・一向門徒勢攻撃の際、信長軍がこの楠に舟を繋いだとも言い伝えられているそうだ。