尾張 常滑城(常滑市)

城跡である天理教常滑分教会の門の脇に建つ小さな城址碑

緒川水野一族の居城

所在地

愛知県常滑市山方町1丁目(天理教常滑分教会一帯)
天理教常滑分教会:常滑市山方町1丁目50、電話:0569-35-5293

形状

平城

現状・遺構等

現状:天理教常滑分教会
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2008/11/10

歴史等

戦国時代の初め、小河地方(東浦町緒川)の豪族水野氏が常滑に進出し、此の地に城を築き、初代監物忠綱、2代山城守、 3代監物守次が居城したと云われる。
天文3年(1534)頃、守次は松平家に属したが、永禄3年(1560)の桶狭間合戦の後、織田信長の配下となった。
天正10年(1582)の本能寺の変で、守次は明智光秀に与したことで常滑城を退去し、織田信雄の家臣で星崎城主岡田重孝の持城となった。
天正12年(1584)の小牧長久手合戦の時、重孝は秀吉との内通を疑われ、織田信雄に殺害されると、天野五右衛門、 高木正方の居城となったが、天正18年(1590)信雄が秀吉から追放された際、この常滑城も廃城となった。
『サイト・城郭写真記録他参照』

現況・登城記・感想等

天理教常滑分教会が城跡中心地であるが、遺構は勿論のこと、面影も全くなく、 教会入口の門の脇に本当に小さくて見落としそうな石碑が立っているだけである。
近くの公園には、立派な石碑と縄張図付きの説明板があるらしいが見損ねてしまった。
(2008/11/10訪れて)

ギャラリー

小さな城址碑
天理教常滑分教会の入口の門の脇に、本当に小さくて見落としそうな石碑が立っていた。

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