陣屋跡の八百富神社
大久保彦左衛門の陣屋
所在地
愛知県額田郡幸田町坂崎字御屋敷、八百富神社
坂崎公民館0564-62-5299の東隣
形状
陣屋
現状・遺構等
現状:八百富神社
遺構等:石垣、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2009/05/07
歴史等
この八百富社は、大久保彦左衛門の陣屋跡である。
大久保氏は、もと宇都宮氏と称したが、彦左衛門の父忠員の時から「大久保」を称した。
大久保氏は三河譜代中でも、岩津譜代と呼ばれる最も由緒ある家柄で、父祖代々、一族を挙げて徳川氏に仕え、
徳川幕府成立のために忠勤を励んだ。
彦左衛門忠教は、忠員の八男で、大久保一族とともに各地に転戦、慶長19年(1614)家康の直参に取り立てられたが、
知行はわずかに坂崎における千石であった。
その後、寛永元年(1624)千石の加増を受けた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
大久保彦左衛門は有名な『三河物語』の著者でもあるが、子供の頃に読んだ小説(雑誌?、漫画?)や、テレビで見たりした「一心太助」
の中の「天下のご意見番」を思い浮かべる人が多いのでは?
陣屋跡は八百富神社となり、社の傍に説明板が設置されている。
また、神社入口の鳥居の手前の石段横の石垣は遺構とのことで、「陣屋跡石垣」の看板が設置されている。
また、神社の西隅には「平岩の射割石」というのが残っていた。
(2009/05/07訪れて)
ギャラリー
石垣
鳥居手前の石段の両側に石垣があり、案内板が設置されていた。
平岩の射割石
この平らな大石(片岩)は、昔から存在した「平岩の射割石」の一部である。若い時から家康に仕えた勇将で、
後の犬山城主
(12万3千石)になった平岩親吉の先祖氏重が、松平信光に従い坂崎城主になった時、この名石に因んで「平岩」と名乗ったと言われている。