美濃 相羽城(大野町)

八幡神社(本丸跡)に建つ城址碑

美濃守護土岐頼芸に仕えた長屋景興の居城、斉藤道三により落城

所在地

岐阜県揖斐郡大野町相羽
大野東小学校の南西約150m。大野東小学校を左手に見て、100m程南下し路地を右折(「おおの温泉」の看板がある)して50mほど西進すると線路(名鉄揖斐線、但し現在廃線)がある。線路を渡ってすぐ右側に八幡神社がある。ここが城跡。
神社の北に相羽公民館があり、駐車場がある。
大野東小学校:大野町大字相羽763-10、電話番号058-534-3100

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 八幡神社
【遺構等】 石碑、標柱

満足度

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訪城日

2011/11/17

歴史等

相羽城は、築城年代は定かではないが、鎌倉時代初期に土岐光俊によって築かれたと云われる。
光俊は土岐美濃守光衡の嫡子浅野判官光行の二男で、饗庭(あいば)二郎と称し鎌倉北条方に属して承久の乱で討死した。光俊の後、二郎太郎国綱、国頼、国信と続いた。
その後、一時廃城となっていたが、天文(1532~1555)初期に長屋景興が不破郡垂井より城を修築して移り、美濃守護土岐頼芸に仕え、のちに2万石ほど領した。
天文16年(1547)、守護代斎藤家を乗っ取った斎藤道三は、守護土岐頼芸の大桑城を攻め、この時長屋景興の守る相羽城も道三に攻められ落城した。
『日本城郭大系9より』

現況・登城記・感想等

八幡神社の境内が相羽城本丸跡である。
城の遺構は何も残っていないが、周囲に比べて、神社境内は周囲より幾分段高くなっていて、神社本殿前に「相羽城址」の石碑、鳥居脇には標柱が立っている。
(2011/11/17訪れて)

ギャラリー

相羽城本丸跡
相羽城本丸跡には八幡神社が祀られ遺構は何も残っていないが、周囲に比べて幾分高くなっている。
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鳥居脇に標柱が
本殿前には石碑(TOP写真)が建っているが、鳥居前にも標柱が建っている。
IMG_7289

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