飛騨 松倉城(高山市)

三の丸から本丸外曲輪の石垣を

飛騨の覇者三木氏の居城

所在地

岐阜県高山市西之一色町

形状

山城(標高856.7m、比高360m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、石垣、虎口、空堀、堀切、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2003/08/11

歴史等

三木良頼、自綱によって永禄年間(1558)から天正年間中頃(1573)にかけて築かれた。
三木良頼は永禄元年(1558)長子良頼(自綱)を将として天神山城(後の高山城)の高山外記と畑佐城(新宮町)の山田紀伊守を討った。三木自綱は天正5年(1577)山中城(下岡本町)の岡本豊前守を討ち、白川郷を除く一円を支配し、桜洞(益田郡荻原町)を冬城に松倉城を夏城とした。
松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き標高856.7m、比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げる、戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張りを持つ城である。
天正13年(1585)金森長近、可成父子に攻められて落城し、以後廃城となった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

前回は、「合掌造り・飛騨の里」の所から歩いて登り始めたが、ただでさえ人が通らないような道で、しかも夕方遅くなって薄気味悪くなり、またどの程度登ればたどり着くのかも分からず断念した。今回は、高山に着いて、いの一番に車で登った。
駐車場から草むらの中を歩いていくと、山城としてはかなり大掛かりで立派な石垣がしっかり残っていた
。草むらや林の中に、これだけ壮大な石垣は何とも云えず存在感がある。往時は、「本丸」「二の丸」「三の丸」「出城」等があり、飛騨では一番の城だったそうだが、それも納得できる。
(2003/08/11登城して)

ギャラリー

縄張略図(現地本丸跡説明板より)
松倉城縄張図

三の丸西面の石垣
三の丸西面石垣

三の丸南面の石垣
三の丸南面石垣

本丸外曲輪の石垣(三の丸西端にて撮影)
三の丸から本丸外曲輪石垣を

搦手門跡と腰曲輪(右は本丸外曲輪西面の石垣)
搦手門と腰曲輪

西南角櫓(三の丸西南隅)
南西角櫓

二の丸から本丸石垣を
二の丸から本丸石垣を

旗立台と云われる岩
旗立台

本丸石垣
本丸石垣

本丸虎口
本丸虎口

本丸虎口脇の石垣
本丸虎口脇石垣

本丸跡からの眺望と城址碑
本丸からの眺望 

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