美濃 久々利城(可児市)

登城口に立つ城址碑と説明板

土岐(久々利)悪五郎代々の居城、後に森長可の持ち城となる

所在地

岐阜県可児市久々利、可児郷土歴史館の前(北東)の山、県道84号線沿いに登城口
可児郷土歴史館:可児市久々利1644-1、電話0754-64-0211

形状

山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、竪堀、井戸、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/09/24

歴史等

久々利城(くくりじょう)は、南北朝の頃、土岐伊予守の四男三河守康貞が築いたと云われる。康貞は豪勇をもって聞こえ、 悪五郎と称していたが、文和2年(1353)に討死している。
その子行春から久々利氏を称し、子孫は代々悪五郎を名乗った。
戦国時代の天文の頃の城主悪五郎は金山城主の斉藤正義の麾下に属していたが、 天文17年(1548)2月25日、正義を久々利城に招いて酔いつぶし、暗殺した。
永禄8年(1565)森可成が金山城主になると悪五郎もその配下に入った。
しかし、可成が死んで、その子長可が城主になると、悪五郎は若い長可をあなどる様子が見えたので、長可は天正11年(1583) に悪五郎を金山城に招いてもてなし、 酔って帰るところを暗殺した。かつて斉藤正義を殺したのと同じ手でやられたわけである。
慶長5年(1600)森忠政(長可の弟)が信濃海津城に去ると、 久々利城は金山城とともに廃城となるが、 徳川家康は関ヶ原合戦で東軍のために道を開いた山村・千村の二氏に久々利の地を与えた。
その後、山村良勝は木曽代官となって去り、千村良重が山麓に陣屋(千村陣屋)を構え、子孫は代々尾張藩に仕え明治を迎えている。
『歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)より』

現況・登城記・感想等

登城前の調査では、整備もされ、遺構もよく残る城址のようで大いなる期待を持って出掛けた・・・が・・・!?
登城季節があまりにも悪かったのか、強烈な藪で遺構がよく分からない上、薮蚊の大群に襲われるわ、蜘蛛の巣が何度も顔に張り付くわ、 散々な目に会った。おまけに、縄張図付きの説明板もほとんど消えかけて見えないし・・・。
それでも、登城しはじめてすぐに出会う虎口や虎口曲輪?、そしてその周りの切岸等は見応えがあった。
そこから三郭へ入城後の、あまりの藪と荒れ果てた雑木林、そして強敵・薮蚊や蜘蛛の巣には参った!!
曲輪や帯曲輪等を確認できるものの、城郭全体は、ほとんど把握出来なかった。結局、本丸北側の尾根上の細長い土塁?曲輪? まで登ったところで、ギブアップ!!
確かに、結構遺構は残っているようだが、この城址は冬でないとちょっと無理かな?
(2008/09/24登城して)

ギャラリー

㊧登城口、㊨登城道
県道84号線沿いにある登城口には、2基(もう1基は表紙写真) の城址碑と縄張図付きの説明板が設置されている。ただ、説明板はかなり薄くなっている上、西陽がまぶしくてほとんど見えなかった。
㊧登城口に立つ2基の石碑の間の登城口より入って行くと、㊨しばらくはよく整備された石段の道が続く。早速、 薮蚊が寄って来た~!!
 

虎口
少し登ると、最初にこの虎口に出会う。「これは期待できるぞ!」
しかし、薮蚊もスゴイし、蜘蛛の巣もいっぱいだ~!! せめて、蛇さんだけは出て来ないでね!

虎口を抜けるとまた虎口
虎口をぬけると、またまた虎口があり、正面奥に切岸が見えてくる。また、その手前には井戸も見える。

井戸
石組みがしっかりした井戸だ。それにしても、通路?の真ん中に何故?

虎口曲輪
2つ目の虎口の先は、長方形のまとまった空間が広がるが、虎口曲輪といったようなものかな?この写真は、 三郭への虎口(一段下の写真)辺りから振り返って撮ったもので、結構広い空間(虎口曲輪?)が分かると思う。

三郭への虎口
虎口曲輪からは、道は左へほぼ直角に折れて坂虎口となる。

三郭?
これはもうとても入っていける状態ではない! 上の段は二郭か?

登城道
三郭からは、切岸下の道を進む。右側は、竹薮になってはいるが、結構急崖になっている。
それにしても、薮蚊がやたらとまとわりついて、ブーンという音が気になってしょうがない。薮蚊だから藪にいっぱいいるのは当然ですよね!?

二郭へ
途中分かれ道になり、右へ行くと「渡り」、左へ行くと「二郭?」 二郭も藪がスゴイかな??

二郭からの眺望
案の定、二郭も藪だらけ!!しかしこの城址で、ここだけが眺望が開けていて何となくホッとする?

渡り
この城址で唯一ここにだけ「渡り」という案内板がある。「渡り」って何だ?ようするに、 両側が崖になった細長い道で、「土橋」や「一騎駆け」のようなもので、大軍が通れないようにしてあるということかな? それでも薮蚊の大軍は難なく通るぞ!!

土塁?曲輪?
この土塁上が、この城の最高地点のようで、右下に腰曲輪があり、当初本丸跡かと思ったが、 それにしてはくねっているし、あまりにも細長すぎる。腰曲輪と思った削平地が本丸でここは本丸を守る土塁か曲輪だろうか?この先の下は、 堀切のように深い谷になっていたが??

本丸?腰曲輪?
当初、腰曲輪かと思ったが、それにしては広すぎる。本丸だろうか?この先は、あまりにも荒れ果てているので、 ここでギブアップ!!
それにしても大敵・薮蚊の注射攻撃と蜘蛛の巣の顔面張り付き攻撃と散々な目に会った。

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