駿河 花倉城(藤枝市)

本曲輪と二曲輪間の堀切

今川氏が駿府へ移る前の本拠、「花倉の乱」の舞台に

所在地

静岡県藤枝市花倉城山
【アクセス】
藤枝バイパス「薮田西インター」を下り、県道215号を北上します。900m程北上して「葉梨小学校」を過ぎた信号を左折します。300m程西進して右折し、600m程左手に花倉川沿いに北上して川を渡り、更に道なりに北上します。するとこの通り沿い左手に「花倉城」の案内が出ているので、そこからはそれに従います。右手に池(ひょうたん池)がある所で左折してそこから山道になりますが、ここであと2kmと案内に書いてあります。茶畑の間の道をどんどん上って行った突き当りが登城口で、左手に説明板があり、3~4台分の駐車スペースがあります。
葉梨小学校:藤枝市下之郷111-1、電話054-638-0002

形状

山城(標高約297m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、土橋、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2008/02/01

歴史等

花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受け、駿遠へ進出し、その子範氏が、文和2年(1353)花倉に居館を構え、背後の山上に詰城を築いたものと伝えられている。
その後、氏家・泰範・範政と3代約60年間、今川氏の本拠として栄え、範政が駿府へ本拠地を移した応永18年(1411)後も一族を花倉遍照光寺の住職とし、堅塁花倉城を駿府の西の守りとしていた。
戦国時代の天文5年(1536)に起きた、今川義元と兄・花倉遍照光寺住持良真との間で起きた家督争い(花倉の乱)ともなった。
『現地登城口説明板より』

現況・登城記・感想等

花倉城は藤枝市の市街地からは300m近い比高差がありますが、登城口へは細い道ながらも、みかん畑や茶畑の間をかなり上まで車で登って行けます。この登城口からは比高差は100m弱程度です。
登城口には城跡の略図も描かれた説明板があり、その前を通り入って行くと、いきなり土橋が現れ、その両側は強烈な崖になっています。
さらに登って行くと、また土橋が現れます。
登城口から登り始めて10分ほどで、二の曲輪東側下の帯曲輪へと出ます。そのすぐ奥(北)に本曲輪と二の曲輪間の堀切がありますが、この堀切がなかなか見応えがあります。
堀切の北側が本曲輪、南側が二の曲輪です。二の曲輪はかなり狭いですが、往時は周りを囲っていたであろう土塁が僅かに残っています。ここから南方面を眺めると、眼下には藤枝市の街並みが見え、その向こうに太平洋(駿河湾)がキラキラ輝いていました。
二の曲輪の南西下にも空堀が良好に残っています。その空堀の向こう(西)の尾根にも曲輪等があったようで、その200mほど先に堀切がありますが、さすがは静岡県です。堀切の向こう(西)は茶畑になっていました。
本曲輪は城山の頂上部にありますが、木々に遮られて南東方面以外はそれほど眺望は良くありません。北東方面には富士山があるのですがが、木々の僅かな隙間から何とか見えるだけです。2~3本切ってもらえばよく見えるのに・・・。
本丸奥(北)は土橋のような細い尾根になっており、その奥に物見台がありますが、ここもやはり木々に遮られて眺望は決して良くありません。
(2008/02/01登城して)

ギャラリー

花倉城略図(現地説明板より) ~クリックにて拡大画面に~

ひょうたん池と登城口までの細い道
今回の登城は、かつての同僚I切さんと一緒です。I切さんは箆鮒釣りの名人で、今も焼津に居住し、箆鮒釣りに勤しんでいるようです。花倉城は、そんなI切さん達が管理している「ひょうたん池」の奥にあります。登城口までは、この「ひょうたん池」から相当登って行きますが、道は非常に細く、この道の何箇所かに「土橋」のような道があります。両側は非常に深い崖になっていて怖いほどです。
DSC05828 DSC05758

登城口から花倉城跡全景を
登城口には説明板が設置され、その前(写真左側)を通り、尾根を登って行きます。
DSC05766

いきなり現れる土橋
登城口から入城すると、いきなり長い土橋が現れます。その両側、特に左側は強烈な深い崖になっています。
DSC05770

2つ目の土橋
最初の土橋を渡り、しばらく登って行くと、また土橋に出逢います。この両側の堀切はかなり埋っています。㊨土橋を渡り、またしばらく登って行くと、「←三角山山頂」の案内板が建つ分岐点へと出る。
DSC05774

分岐点
さらに、しばらく登って行くと「←三角山山頂」の案内板が立つ分岐点へ出ますので、そこを右へ向かいます。
DSC05812

帯曲輪
分岐点を右へ進むとすぐ二ノ曲輪下の帯曲輪へと出ます。登城口から登り始めて10分ほどです。 
DSC05776

本曲輪と二ノ曲輪を断ち切る堀切
帯曲輪のすぐ奥(北)には、本曲輪(右側奥)と二の曲輪(左側手前)の間の堀切があります。この辺りが、この城の最大の見所でしょう。
DSC05779

DSC05783

竪堀
本曲輪と二ノ曲輪間の堀切は、山裾へと落ちて行っています。
DSC05784

二の曲輪
二の曲輪はかなり狭い。そして往時は周りを囲っていたであろう土塁(写真右端)が僅かに残っています。写真奥に堀切、その向こうの一段高い土塁上が本曲輪です。
DSC05788

二の曲輪から南方面の眺望
二の曲輪から南方面を眺めると、写真では分かり辛いですが、眼下には藤枝市の街並みが見え、その向こうには太平洋(駿河湾)がキラキラ輝いています。
DSC05790

二の曲輪南西の空堀
先程の分岐点を左へ行くと、この空堀へと出ます。この空堀も実に良好に残っています。
DSC05810

西尾根の堀切
この堀切の奥は茶畑になっていましたw(*゚o゚*)w。さすが静岡県ですね。こんな高くて不便な所にまで!
DSC05820

本丸
本丸もそれほど広くありません。また木々が遮り、南東方向以外は眺望がよくありません。尚、北東方向に富士山が木々の間からかすかに見えましたが写真には写りませんでした(/。ヽ)。
DSC05796

本丸から南東方面を
二ノ曲輪からの眺望とほとんど同じですね。
DSC05797

本丸から二の曲輪を見下ろす(手前下に堀切が)
DSC05793

本丸奥(北)の尾根道、㊨物見台
本丸奥(北)は土橋のような細い尾根になっています。その奥に物見台があるが、ここもやはり木々に遮られて眺望は決して良くない。
DSC05803

物見台
北尾根の奥には物見台がありますが、木々に遮られていて、あまり眺望はよくありません。
DSC05801

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント