伊豆 金山城(伊豆の国市)

畠山国清が『畠山三城(三津・金山・修善寺)』の一つ、この金山城に篭もった

別名

神益城(かんますじょう)、神餘城(みかやますじょう)

所在地

静岡県伊豆の国市神島

形状

山城(標高:342m、懸崖:280m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:堀切の一部・虎口(らしき)跡・曲輪

満足度

?????

訪城日

2004/12/25

歴史等

南北朝の時代、主君関東管領足利基氏に反旗をひるがえした畠山国清(はたけやまくにきよ)が、二人の弟を引き連れ『畠山3城:三津・ 金山・修善寺(本城は修善寺城)』と呼ばれた城の一つ、この金山城に立て篭もった。
康安元年(1361)から始まった戦いは基氏に20万の兵で金山城攻め寄せられ、水の手を断たれるなどして落城。 国清は修善寺城に移るがその修善寺城も間を置かず落城してしまう。国清は出家を条件に降伏。のち各地を流浪し、窮死したとされている。 この城の一部として、現在ある城山が「見張り台」や「のろし台」として使われたのではないかという説があり、 中腹から頂上にかけての尾根には、土塁や堀切りの跡らしいものが見られる。
最後の砦、金山城の位置については、小室・石取山(別称棒石山=121m)を中心に城山にかけての広い範囲であったろうと思われる。
『参考サイト:史跡訪問~歴史の道程は遥かなり~』

現況・登城記・感想等

修善寺温泉に行った時に、岩肌を剥き出しにしたその威容はいかにも中世の山城であろうと思われる岩山に気が付き、 ちょっと近くまで行ってみたら、やはりそのとおりであった。
地元では城山(じょうやま)と呼んでいるらしいが、金山城跡は別名神益(かんます)城・神餘(みかやます)城とも呼ばれ、 ハイキングコースが整備されており、またロッククライミングの地としても有名らしいが、時間的なこともあり登るのは諦めた。
堀切や曲輪跡等もあるらしいし、機会があれば登ってみたい。尤も、30分程で登れるとのことではあるが、下から見る限りにおいては、 この山を登るには、それ相応の覚悟を決めて懸かる必要がありそうな気がする。
(2004/12/25に麓まで行ってみて)

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