宅地化の波の中で僅かに残る愛宕山城の土塁(土壇)
桑名地方36家衆の中心矢田氏により矢田城とともに築かれた城
所在地
三重県桑名市矢田
【アクセス】
三岐鉄道北勢線「馬道駅」の北方約200mで、長禅寺のすぐ南。矢田城跡
(走井山公園)の北東約150mなので、私は走井山公園駐車場から歩いて行った。
形状
平山城(崖端城)
現状・遺構等
現状:宅地
遺構等:土塁(土壇)
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/12/02
歴史等
愛宕山城は、戦国時代に地元の豪族矢田氏によって築かれた。
矢田氏の祖は毛利氏の家臣山内俊行で、その子俊元が伊勢国司北畠氏に属してこの地に城を築き、矢田半右衛門俊元と称したという。
永禄年間(1558~70)、織田信長に攻められ滅ぼされた。隣接する矢田城とともに、
織田信長に攻められ滅ぼされた。
『「矢田城跡
(走井山公園)愛宕庚申碑説明板」、「日本城郭大系10」より』
現況・登城記・感想等
長禅寺のすぐ南側の住宅の裏に、如何にも城跡らしい土塁(土壇)が残っているだけだが、東側は急崖で、眺望もよくきき、
ここに城があったのもうなずける。
周辺は完全に宅地化され、この土壇跡が残っているだけでも奇跡かも。
(2010/12/02訪れて)
ギャラリー
城跡から伊勢湾方面の眺望
愛宕山城跡は、土塁(土壇)が残っているだけだが、東側は急崖で、眺望もよくきき、
ここに城があったのもうなずける。