主郭とその周囲をめぐる土塁
北畠氏家臣の三瀬左京の居城? 北畠具教殺害者の一人長野左京進の居城?
読み方
みせとりで
別名
下三瀬城、三瀬左京館
所在地
三重県多気郡大台町下三瀬 字川之上506−6
【アクセス】
紀勢自動車道「大台大宮IC」を降りて、国道42号線との交差点を左折し道なりに1kmほど進むと左手に「道の駅奥伊勢おおだい」がある。そこからさらに進み、道の駅から4つ目の点滅信号(左手に中部電力があり、「北畠史跡」の看板もある)を右折して南進し、突き当たったT字路を左折し東進する。しばらく進むと右手に三瀬砦跡への案内板があり、右折するとすぐに砦の土塁へ出る。土塁手前に駐車スペースがある。慶雲寺の約50mほど西になる。
形状
平山城(崖端城)
現状・遺構等
【現状】 三重県指定史跡
【遺構等】 曲輪、土塁、虎口、堀切、石積み、井戸、石碑、説明版
満足度
★★★☆☆
訪城日
2011/02/25
歴史等
三瀬砦の城主といわれる三瀬氏は北畠氏の家臣としてこの地を治め、永禄12年(1569)伊勢に侵攻した織田信長と北畠氏が戦った大河内城合戦でも奮戦し、北畠具教が織田軍と和睦し、再起を秘めて上三瀬の三瀬館に隠棲したときも三瀬館守護の支柱となったと伝えられている。
一方、永禄年間(1558~70)、長野左京進がここに居住し、元和年間(1615~1624)に廃城になったとも伝えられ、その左京進は天正4年(1576)の北畠具教殺害者の一人である長野左京進と考えられている。
また、一説には長野左京進と三瀬左京は同一人物であるともいわれる。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」より』
現況・登城記・感想等
三瀬砦は、南を宮川、西側を大谷川にはさまれた河岸段丘の舌状台地の先端部に築かれている。
城の縄張は、土塁に囲まれた約50m×50mほどの主郭とその西側に接してこれまた土塁に囲まれた細長い小郭がある。そして、さらにその西側下に堀切を隔てて出丸のような郭が突き出ており、その周囲は急崖になっている。
この城の見どころは、何と言っても主郭周囲をめぐる高さ約5mもある分厚い土塁であろう。その土塁は完存し、南東部に虎口がある。その虎口南側の土塁は特に幅広く、櫓台であろうか?
また、主郭の北東部寄りのところには石組の井戸も残っている。
主郭と西の郭との間の北寄り部分は方形の広い壇状地になり、西の郭の北東部には八幡社の祠が建っているが、往時も何らかの建物があったのであろう。
西の郭の周囲の土塁の高さは内側から2m前後で、この土塁もほぼ完存している。
西の郭は南西部に虎口があり、ここから見下ろす宮川と山並みの眺望は素晴らしいが、宮川の川面が遥か下の方に見え怖いほどである。
城の南側は宮川の川面まで絶壁になっており、北側と西側は大谷川へと急崖が落ちていっており、東側以外は鉄壁の守りである。城の東側には畑が広がっているが、往時は空堀でも掘られていたのだろうか?
登城前には、これほどの城跡とは想像だにしていなかったが、見応えのある素晴らしい城跡だった (*^_^*)。
(2011/02/25登城して)
ギャラリー
主郭土塁を外側から
三瀬砦跡に到着すると、約5mもある主郭の高い土塁が目に飛び込んでくる(^^)。
主郭南東部の虎口
主郭の南東部に虎口があり、鳥居が立っている。その前に立派な石碑が設置され、虎口の北側の土塁手前には説明板が設置されている。
虎口左(南)側の土塁は非常に幅が広く、櫓が建っていたと思われるが・・・。
虎口から主郭内部を
虎口から主郭内部を見ると、主郭周囲をめぐる土塁が見える。
主郭周囲を巡る土塁
主郭周囲を取り囲む土塁は分厚く、上部幅でも2~3mほどある。基底幅は6mほどあるだろう。
主郭周囲の土塁上から主郭内を撮影
主郭周囲の高さ約5mほどもある分厚い土塁が完存ししている。
当写真は土塁北西角上から撮ったもので、奥の方に虎口に建つ鳥居が見える。
石組の井戸
主郭の中央やや北東部には立派な石組の井戸が残っているが、石組みは後世のものかな? 尚、中を覗くことはできなかった。
八幡社
主郭と西の郭との間の北寄り部分は方形の広い壇状地になり、西郭の北東には八幡社の祠が建っているが、往時も何らかの建物があったのだろうか?
西の郭
主郭とその西側に接してこれまた土塁に囲まれた細長い小郭がある。西の郭の周囲の土塁の高さは内側から2m前後で、この土塁もほぼ完存している。
西の郭の虎口
西の郭へ入り、さらに西の方へ進むと虎口が見えてくる。
西の郭の虎口からの眺望
西の郭の虎口から見下ろす宮川と山並みの眺望は素晴らしいが、宮川の川面が遥か下の方に見え怖いほどである。
同じく西の郭の虎口から砦の南側を見ると、土塁南側は宮川の川面まで強烈な絶壁になっているのがよく分かる。ここから攻め上ってくるのは不可能だろう。
出丸
西の郭の西側下にも堀切を隔てて出丸のような郭が突き出ている。当写真も西の郭の虎口から見下ろしたもの。
出丸
この写真は、上写真の出丸を主郭の北側の土塁外側下を廻って撮ったものである。しかし、ここから先は危険につき立入禁止となっていたので入っていくのを諦めた。出丸の周囲が急崖になっているのがよく分かる。