台地上の城跡全景を西側から見上げる
入鹿氏から分かれた尾呂志氏により築かれた城
別名
尾呂志本城
所在地
三重県南牟婁郡御浜町上野(尾呂志学園小中学校の敷地一帯)
尾呂志学園小中学校:御浜町上野535-5、電話05979-4-1012
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 尾呂志学園小中学校
【遺構等】 土塁、尾呂志城の的石?、城主居館の礎石、井戸、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/02/25
歴史等
尾呂志城(おろしじょう)は、入鹿氏から分かれて尾呂志氏を名乗った者により、室町時代初期に築城されたもので、元は尾呂志学園小中学校のすぐ南にある御浜町尾呂志支所付近にあったが、狭いため、永禄年間((1558~70)尾呂志氏4代孫三郎の代に、現在の尾呂志学園小中学校の地に移転した。
城の縄張は、小中学校の北側T字路のところにある説明板によると「城域は続風土記には東西約46m、南北約53mとあるが、その数倍の広さがあった」とある。
また、石垣の高さは約2.7m、堀幅は3.6m、深さ3.6mあり、小学校東側と南側の道路が堀となっており、北側と西側の一部を除き、周囲を巡っていたという。堀の内側には土塁が巡らされていたという。
『現地説明板ほかより』
現況・登城記・感想等
尾呂志城(おろしじょう)は、現在、尾呂志学園小中学校になっているが、尾呂志川東岸にある馬の背状の台地にあり、城にふさわしい立地にあるのが分かる。
遺構は、小学校建設でほとんど消滅しているが、校舎西側に僅かに土塁の一部残されている。
また、小中学校北側のT字路のところにある駐車場の金網にベニヤ板に書かれた説明板があり、そのすぐ近く(南東)の民家前に「尾呂志城の的石」というのがあったが説明がないので何のことやら(苦笑)。
説明板には、講堂の西側に城主居館の礎石と井戸が残されているとあったが、最近の風潮で入って行き辛いことと、時間に余裕がなくて断念した。
(2011/02/25訪れて)
ギャラリー
校舎の西側に僅かに残る土塁
尾呂志城の的石
学校の北東の民家前に「尾呂志城の的石」というのがあったが、「尾呂志城の的石」と書かれた板切れがカーブミラーの下にぶら下がっているだけなので、何のことやら(苦笑)。