紀伊 赤木城(熊野市紀和町)

主郭南西部の石垣

北山一揆を契機に藤堂高虎が築いた総石垣の城、主郭の二重枡形虎口が見事

所在地

熊野市紀和町赤木字城山
【アクセス】
紀和町赤木に入ると、多くの案内板があるので、それに従って行けば辿り着くでしょう。

形状

平山城(比高約30m)

現状・遺構等

【現状】 史跡公園(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、石垣、虎口、堀切、井戸(水溜)、石碑、遺構説明板、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2011/02/25

歴史等

赤木城の歴史は不明な点が多いが、天正14年(1586)に熊野牢人の蜂起、北山一揆を契機として築かれたと推定される。熊野の一揆は、その後も頻繁に起こっており、その仕置きを目的として築かれたものと考えられる。
天正13年(1585)の豊臣秀吉による紀州侵攻後、熊野は豊臣秀長の所領となり、天正16年(1588)以降は藤堂高虎と羽田正親が北山代官となっている。
紀州侵攻の際、藤堂高虎は豊臣秀長の配下として北山入りをし、3年後の同16年(1588)、北山郷が検地に反対したのでこれを攻め、農民多数を田平子峠で斬首した。
高虎は、その後、文禄4年(1595)の四国伊予3郡を与えられるまでの11年間、北山付近に在居し、この間2度の北山の陣で一揆方を成敗したり北山材の切出しを行っているので、この頃に現在の城郭を整備したものと考えられる。
また、その後、慶長19年(1614)の大阪冬の陣と呼応して起こった北山一揆でも、浅野長晟の軍勢は一揆征伐の拠点として赤木城を利用した。
『「現地説明板」、「平成20年歴史読本5月号別冊付録 織豊系城郭見どころ事典(新人物往来社刊)」、「日本城郭大系10」ほか参照』

現況・登城記・感想等

赤木城は熊野市街地からさらに山奥に向かって約23kmという本当に山深い里にある。そんな山奥に総石垣の城跡があるというので、以前から是非行きたいと思い、大いに期待しての登城であった。
さすが、築城の名人「藤堂高虎」の築いた城である。高虎が、後に築く城などと比べると規模は小さいながらも、高さ約3~4m程の野面積みの総石垣の城址は期待に違わない見応え充分な城址であった。
中でも、本丸の南側と北側の横矢の掛かる石垣周辺や出枡形と内枡形を組み合わせた二重枡形の主郭虎口は見事なものだ。
それにしても、こんな山奥(失礼!)に、これほど立派な城を築く必要性があったのだろうかと考えるのは野暮?
(2011/02/25登城して)

ギャラリー

赤木城縄張略図(現地説明板より)
01縄張図

駐車場から赤木城跡を望む
駐車場(城跡南東部)から見上げる赤木城跡全景。中央上に東郭、右後方に主郭が見えて期待が高まる。説明板のすぐ後ろの一段高い曲輪は、伝鍛冶屋敷跡。
城跡全景

東郭への虎口
東郭への虎口

東郭と門跡
東郭(写真右)は門を挟む2つの郭からなっている。郭内で発掘調査は行われていないが、礎石がいくつか見られることから、建物があったと考えられる。門跡では礎石が3石残っており、間口8尺(約2m40cm)、奥行6尺(約1m80cm)の四脚の門があったと推定される。
東郭と門跡

東郭から主郭を
虎口から東郭へ登ると、北の方に主郭の石垣が見えてくる。約3mほどで、あまり高くはないが、野面積みの石垣が見事だ。
東郭から主郭を

主郭虎口(現地説明板より)
赤木城では通路を何度も折り曲げて二重の虎口を設け、要所には門を構えて備えている。
IMG_1669

虎口下段
下段の虎口には防御のためか階段が見られず、梯子のようなもので登っていたと考えられる。
虎口下段

虎口上段へ
上段の虎口には大きな石が使われている。復元前は、石垣の崩落が著しい状態であったそうだ。これについては城の廃城後に、敵に利用されることを防ぐ目的で意図的に崩された可能性が考えられるとのことである。
虎口上段へ

虎口上段を見下ろす
出枡形と内枡形を組み合わせた二重枡形の姿が素晴らしい。
虎口上段を見下ろす

虎口上段から東郭を見下ろす
虎口上段から東郭を

主郭と虎口
虎口上段から主郭を望む。主郭は城の最高所にあり、城下からの比高は約30mである。ほぼ方形で、広さは東西約33m×南北約27mである。主郭に残っている礎石は大きく、他の郭よりも立派な建物があったと考えられる。
主郭

主郭から南方の眺望
左に東郭、右に西郭が見える。そして中央下(麓)には南郭がある。南郭は他の郭が防御の役割を担っていたのに対し、南郭は主に生活の場であったため、丘陵裾に築かれていた。
主郭南方の眺望

主郭北側の石垣(北西角から撮影)
主郭の石垣は高さ約4mで、高い北西角は5mほどあり、他の郭よりも高く丁寧に積まれている。角部は算木積みになっており、南側と北側に横矢掛の構造が見られ、中世城郭から近世城郭への過渡期の遺構として貴重な城の一つである。
主郭北側の石垣

主郭西側の石垣(北西角から撮影)
主郭西側の石垣

主郭南側の石垣(南西角から撮影)
主郭南側の石垣

北郭
主郭の一段下に北の方へ突き出た北郭がある。この郭は、石垣が2~4段と低く、西面には石垣が積まれていないなど、他の郭と比べて簡素な造りであるが、尾根の先の方に堀切が設けられ、北から来る敵を防いでいる。
北郭

北郭から主郭北側の横矢掛の石垣を
横矢掛け石垣

西郭1
細長い尾根の上に築かれた西郭は4つの郭からなっている。西郭1(写真の郭)2棟の礎石建物(写真中央やや上)と室(むろ・食物などを貯蔵する施設)か水溜と思われる石組み遺構が見付かった(写真右手前の石組みのことだろうか)。
西郭1

西郭2から西郭1石垣と主郭石垣を望む
西郭2、4にも礎石がいくつか見られることから建物があったと考えられる。西郭の石垣は他の郭と比べて傾斜が緩くなっており、また麓から見える部分は大きな石垣が使われている。
西郭2から

西郭3、4
西郭の先端には、急傾斜に狭い郭が・・・。これも郭の一つですかねえ? ここから下に降りて行くと南郭へ出る。
西郭3と4

【付録】
「丸山千枚田」 ~画面をクリックにて拡大画面に~
熊野市街から赤木城を目指して、山の中の細い九十九折りの道を必死に運転して来る途中「丸山千枚田」が眼下に広がっているのが見えた。素晴らしい光景で、これは儲けものとばかり写真を撮った。稲穂の実る秋に来たら、さぞかし見事なことだろう! というわけで、城とは関係ないが付録で掲載(^^)。
IMG_1640

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