阿坂城北郭(椎の木城)の切岸
足利軍に攻められ籠城し白米を馬に水のようにかけて敵を欺いた故事がある城
別名
白米城・椎の木城
所在地
三重県松阪市大阿坂町桝形山
【アクセス】
登城口は幾つかあるが、大手道と考えられる浄眼寺から登城。浄眼寺に駐車場がある上、道も整備されている。
浄眼寺:大阿坂町1180、電話0598-58-2637
主郭までの所要時間
登城口(浄眼寺)から主郭北郭(椎の木城)まで約35分、北郭から南郭(白米城)まで約5分。
形状
山城(標高300m余、比高約250m)
現状・遺構等
【現状】 山林(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、空堀、竪堀、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
2011/04/21
歴史等
阿坂城(あざかじょう)は、文和元年(1352)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場する。
応永22年(1415)に北畠満雅が北朝方の足利軍を迎え撃った戦いで、籠城する満雅軍は水を断たれたが、馬の背に白米を流して水があるように見せかけて、水断ち作戦に出た足利軍を欺き撃退したことから「白米城」と呼ばれるようになったという。
その後、永禄12年(1569)8月、織田信長率いる軍勢が南伊勢に来攻した。信長軍は、大河内城に拠る北畠具教を攻略するため、まず阿坂城を攻撃した。阿坂城には北畠の重臣大宮入道含忍斉らが立て籠もったが、木下藤吉郎らによって攻められて落城し、その後は使用されることなく廃城となった。
なお南方紀伝に記される「両出城」が枳城(からたちじょう)と高城と考えられるところから、阿坂城の国指定史跡化に伴い「附」としてどちらも国指定史跡に指定されるに至った。
『「現地(浄眼寺駐車場)説明板」、「日本城郭大系10」より』
現況・登城記・感想等
阿坂城は、標高300m余の山頂に築かれた山城で、南北300m、東西150mの領域を持ち、南北2つの郭からなる。南郭を白米城、北郭を椎之木城とも呼ばれており、台状地を中心として、堀切、土塁等が配されてる。
南郭(白米城)は25m×30m、高さ12mの台状地とそれに続く一段低い東部に小さな台状地を持つ。
南郭から北に250m離れて北郭(椎之木城)がある。北郭は、幅40m~70m、長さ150mと大きく、3ヶ所の台状地の周りに堀切と土塁を備えており、郭の構成は複雑で、規模などから考えて、こちらが城の中心(主郭部)だったと思われる。
両郭から、それぞれの郭を望む姿がかっこいい。また、南郭(白米城跡)からの眺望は素晴らしく、360度のパノラマが楽しめる。松阪市街地から遠望して山頂部に台形をいただいた形は、この南郭である。
尚、登城道は、浄眼寺から阿坂城経由で堀坂山に至る縦走する人気のハイキングコースのようで、よく整備され、気持ちよく歩ける。平日であったにも関わらず多くのハイカーと出会った。山城への登城で、こんなに多くの人と出会ったのは初めてだ。山城フェチならずとも、お薦めの城だ。
(2011/04/21登城して)
ギャラリー
阿坂城・高城・枳城位置図 (浄眼寺駐車場説明板より)~画面をクリックにて拡大画面に~
阿坂城は、標高300m余の山頂に築かれた山城で、南北300m、東西150mの領域を持ち、南北2つの郭からなる。南郭を白米城、北郭を椎之木城とも呼ばれている。尚、「南方紀伝」に記される「両出城」は「枳城(からたちじょう)」と「高城」と考えられるところから、阿坂城の国指定史跡化に伴い、「附」としてどちらも国指定史跡に指定されるに至った。
阿坂城遠景
城跡の北東方面から撮影したものである。久々に比高差200m以上ある本格的な山城登城で胸が高鳴る?
浄眼寺からの登城口
正面から左にかけてが浄眼寺で、右手前に見える坂道が登城口。写真手前に駐車場がある。浄眼寺は、北畠氏6代目材親の援助により建立され、材親をはじめ北畠氏の菩提寺となっている。
ハイキングコース(途中に立っていたコース案内板)
登城道は、浄眼寺から阿坂城経由で堀坂山に至る縦走する人気のハイキングコースのようで、よく整備され、気持ちよく歩ける。案内板によると浄眼寺から南郭(白米城)まで47分ということになる。浄眼寺から北郭(椎の木城)まで約35分、さらに5分強で南郭であり、写真を撮りながら45分というところでしょうか。一般的に、こうした案内板は余裕ある時間で書いてあるのに、珍しくきっちりした時間だ。
空堀?
城域に入ると、こうした空堀や竪堀様の溝が多く散見されるが、往時のものかどうかはっきりしない。
北郭(椎の木城)への虎口
浄眼寺から歩くこと35分ほどで、北郭へ辿り着く。郭手前の虎口は食い違い虎口のようになり、両側に食い違いの空堀が確認できる。
北郭(椎の木城)の北端部
虎口を入ると、正面に北郭先端部の台状地が見える。この切岸は見応え充分だ。手前にも空堀があったようで、浅くはなっているが窪地になっている。また、写真の右の方にも空堀や竪堀が確認できた。
北郭(椎の木城)の西側の切岸
台状地の右(西)側へ廻ると、これまた見応えたっぷりの切岸が・・・。北郭中央の郭(正面台状地上)と北端の郭の間は堀切(左手前)があり、そこから台状地上へと登る。
北郭(椎の木城)北端上から南を
台状地の西側から登り、まずは北端の郭へ入り、振り返って写真を。郭の東(写真左)側の切岸も見事で、そのまま急崖で山裾へ落ちていっている。
北郭(椎の木城)北端の郭からの眺望 ~画面をクリックにて高城をズームアップ~
ここからの眺望もなかなかのもので、眼下に高城が見える。
北郭(椎の木城)中央の郭
北端の郭から堀切を渡り、中央の郭へ入って行く。中央の郭は、北端の郭より少し高く、周囲を囲む土塁が最も良好に残っている。この郭が最も厳重な防御になっているようで、主郭なのでしょう。
北郭(椎の木城)南端の郭
中央の郭と南端の郭の間は、狭くなっている。
北郭(椎の木城)南端の郭から南郭(白米城)を望む
南端の郭から谷越しに南郭(白米城)が見える。台状地の上に立つ石碑も木に遮られながらも見える。この光景が、何ともかっこいいと思ったのですがどうでしょう?
北郭(椎の木城)西側の切岸
一旦、北郭の下へ降りて、南郭(白米城)へ向かう。この西側の切り立った切岸は、TOP写真と同じものを反対側から撮ったものですが、実に素晴らしい!
南郭(白米城)へ向かう
北郭と南郭の間はの尾根は鞍部となり、急坂を一旦、一気に下りていく。
鞍部に切られた堀切2条
鞍部は、2条の堀切で断ち切られている。
南郭(白米城)へ・・・。
北郭から5分ほどで正面に切り立った南郭の切岸が見えてくる。
南郭(白米城)の上にて
南郭上はきれいに整備され、芝生が生えていて、気持ちが良い。一人での登城だったが、弁当をひろげて、360度のパノラマを楽しんだ。
石碑
南郭(白米城)には石碑が立ち、多分、説明文が刻まれているのだろうが、例によって読めない(/。ヽ)。
【南郭(白米城)頂部からの眺望】
南郭からの眺望は素晴らしく、360度のパノラマが楽しめる。
(南東方面)
東へ伸びる腰曲輪(出曲輪?)
南郭の東下に、東へ伸びる台状地(曲輪)が設けられている。この台状地も、周囲が強烈な崖になっている。