南虎口から主郭内を
天正伊賀の乱で討死にした竹島氏の城
別名
畑峰城
所在地
三重県伊賀市(伊賀町)愛田字構谷、愛田公民館の裏山
愛田公民館:愛田1143番地
【アクセス】
愛田公民館の裏(北)の山が城址で、公民館の所に駐車して歩いて行くのが良い。公民館の西側の道路を北へ進むと道標がある。道標に従って登って行く。但し、最後の道標から山道に入って2分ほどで左(西)へ曲がり林の中へ入って行くが、ここには道標がないので要注意。
㊧山中手前に立つ最後の道標、㊨山道から城跡へ入る所
所要徒歩時間
愛田公民館から主郭内まで7~8分
形状
平山城(比高:約30m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、虎口、空堀、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2011/11/15
歴史等
竹島城の築城年代は定かではないが、出土品から室町時代の頃と考えられる。
竹島氏は、愛田村の土豪で南北朝時代には北畠能郷に仕え戦功があったと云われ、天正9年(1581)の天正伊賀の乱では春日宮山で城主竹島右衛門景は討死にしたという。
尚、13代景勝の妻として、松尾芭蕉の姉が嫁いできたことが発見され、その墓碑が*松栄寺の墓地にあるそうだ。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」より』
*松栄寺:伊賀市愛田2923、電話0595-45-3486
現況・登城記・感想等
竹島城跡は、主郭跡を中心に遺構が良好に残っている。しかも、地元の人が主郭の草刈りをやってくれているそうで、中まで入って行けたのは有難かった。
竹島城は東西100m、南北120mの規模があり、室町期、戦国期の伊賀地方の山城(砦)中では、かなり規模の大きい山城で、主郭を中心に周囲には二の曲輪をはじめ幾つかの腰曲輪を設けている。
主郭はかなり広く、50m×50mほどある。そして、西側を除く三方を高くて(2~3m)、幅の広い堂々たる土塁が良好に残っており、主郭内や虎口から眺める土塁の姿は見応え満点で、一豪族の城郭とは思えないほどだ。
主郭の西側と北側は急崖になっており、東に続く尾根は堀切で断ち切られている。
主郭の南虎口が大手で、往時は城門が建てられていたという。
虎口の外側南西部には二の曲輪が設けられているが、ここは主郭と違って、ほとんど整備されていなかった。
(2011/11/15登城して)
ギャラリー
竹島城址遠景(愛田公民館の西側から)
愛田公民館の西を通る道から北の方を見上げる小高い山が竹島城址のある山である。
主郭へ
分かり辛い道を左へ折れて山中に入ると、正面に主郭が見え、その下に説明板が見えてくる。その左は堀切らしい。
土橋
主郭の東側は堀切で断ち切られ、説明板のところに土橋が架かっている。尚、写真は土橋を渡ってから振り返って撮ったもの。
主郭北側の登城道?(犬走り?)
主郭下(北側)の犬走り様の道を歩いて行く。
主郭と北側から東側にかけての土塁
主郭へ入ると、ぱっと景色が広がり周囲を取り囲む高い堂々たる土塁の姿が見事だ。主郭内は、有難いことに、地元の方により草が刈られている。
主郭南虎口(門跡)を城外側から
この南側の虎口が大手口であり、城門が建てられていたようだ。
南虎口から主郭内を
写真左奥は北西虎口。主郭周囲を堂々たる土塁が取り囲んでいるのが分かって戴けると思う。
二の曲輪
虎口の手前両側には曲輪跡の平坦地が設けられているが、南西部が二の曲輪であったようだ。
南虎口の東側土塁上にて(右奥に虎口が見える)
南虎口の東側の土塁に登った。土塁は幅も相当広く(3mはゆうにあるだろう)堂々たるものだ。