菰野藩主土方家菩提寺「見性寺」
菰野藩主の始祖土方雄久が織田信雄に仕えて一時拠った城
読み方
ちからおじょう
所在地
三重県三重郡菰野町菰野字力尾、見性寺の(南側)裏山
見性寺:三重県菰野町大字菰野158、電話059-394-1755
参拝用駐車場あり。
所要時間
駐車場から山頂部まで6~7分
形状
平山城(標高101m、比高30m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 土塁
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/11/20
歴史等
菰野藩主の始阻、土方雄久は尾張に住み織田信長の子信雄に仕えていた。
永禄11(1568)年に信長が伊勢を平定し、同12年に滝川一益に北勢5郡を与え、三重郡の代官所を菰野に置き、家臣南川治郎左衛門に代官を任命した。
天正11年(1583)織田信雄の所領となったとき、土方雄久が菰野7千石を封したが、同18年信雄が秀吉に追われた。この間の一時期、推久は力尾城に居城していた。
慶長5年(1600)、雄久の子雄氏が家康より菰野1万2千石を与えられ、滝川代官所跡を修補して仮藩庁を設けて移った。
その後、寛永年間(1624~44)、2代雄高の代に藩邸(菰野陣屋)を建て、藩士の屋敷も設け、東町を開き、城郭の構えを整えた。
『菰野町観光協会ホームページより』
現況・登城記・感想等
菰野藩主土方氏の菩提寺「見性寺」の背後(南側)の山が力尾城址である。
国道306号線バイパス工事に先がけて1998~99年に発掘調査が実施され、空堀や土塁などが検出されたそうだが、その後、工事により破壊されたり、埋め戻されたりしたようだ。
土方家墓所を経由して、4~5分で山頂に登ると、曲輪らしき削平地へ出る。その入口両側には土塁(らしきもの?)が確認でき、虎口のような感じだ。
尚、土方家墓所はなかなか立派なもので必見だ。
(2011/11/20訪れて)
ギャラリー
曲輪跡
土方家墓所を経由して、4~5分で山頂部に出ると、曲輪らしき削平地へ出る。登り口の両側には土塁(らしきもの?)が確認でき、虎口のような感じだ。
土塁
菰野藩主土方家墓所
慶長5年(1600)土方雄久の子雄氏が菰野に入部して陣屋を構え、2世雄高の代に見性寺を創建し、歴代藩主の菩提寺と定めた。歴代藩主の墓碑は、2世雄高を中心として、石造りの鉾形、五輪形など大小26基が整然と並んでいる。尚、始祖雄久と初代藩主雄氏の墓碑は京都にある。