本丸南東側の土塁と空堀
伊勢と美濃を結ぶ交通の要衝に築かれた城、織田信長により落城
別名
山口城
所在地
三重県いなべ市藤原町山口字玉垣野
【アクセス】
国道306号「山口」信号を北東へ入り、150m程進むと道路右手に説明板が立っています(薄くなっており見逃しやすいので要注意)。説明板脇の道(非常に細いので要注意)を入り200mほど進むと突き当りになり、その左側から入城(突入?)します。
尚、説明板脇の道は細い上、突き当り部分はシイタケ栽培か何かの作業場なので、説明板前の道を50mほど戻った辺りの道幅が広くなっているので、その辺りに駐車したほうが良いかもしれません。
所要時間
今回の見学時間は20分弱でした。
形状
平山城(標高180m、比高10m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、虎口、空堀、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2014/05/16
歴史等
玉垣城は、山口より篠立を経て美濃に至る土岐多羅越・山口越などの間道が集まり、伊勢と美濃を結ぶ交通の要衝を占めている。
員弁雑誌によると、永禄年中(1558~70)に藤田東馬充が居城したが、永禄年中に織田信長により滅ぼされたと伝えられるが、桑名誌によると天正年中(1573~92)に滅亡したとある。
『「現地説明板」、「日本城郭大系」より』
現況・登城記・感想等
玉垣城跡は、杉林の中に本丸跡と周囲をめぐる土塁と空堀が残っています。
土塁は、50m×43mのほぼ方形で、高さ約2mほどあり、土塁外側には空堀も設けられています。
これら遺構は、良好に残っているのですが、ほとんど未整備状態の藪のため、写真に撮っても分かり辛い上、全てを見て廻ることが出来なかったのが残念です(/。ヽ)。
(2014/05/16登城して)
ギャラリー
城跡への入口
説明板(薄くなっていて見落としやすいです)の右脇の道(非常に細いので要注意)を入り200mほど進むと突き当りになり、その左側から入城(突入?)します。
土塁と虎口
上写真の道の突き当りから左へと杉林の中へ進入し、真っ直ぐ進むと、正面に土塁が見えてきます。近づいて見ると。土塁の手前には浅くなってはいるものの空堀があり、土塁上の一部が凹部になっていますが、虎口のようです。
虎口脇の土塁と空堀
虎口の左側の土塁と空堀です。良好に残っているのがお分かり頂けるかと思います。
曲輪(本丸)内は薮・薮・薮
虎口から入って行くと、曲輪(本丸跡)内は、入って行くのも憚られるほどの強烈な藪ですが、勇気を出して突入しました( ̄ー ̄;
墓?
薮の中へ突入し、中の方へ入って行くと、6角形の小さな墓所が・・・。
東隅の土塁(本丸内から)
さらに奥の方へ入って行くと、右前方にはっきりと分かる土塁が現れます。この土塁を見て、当城が、土塁が方形の曲輪(本丸)周囲をめぐる縄張り(単郭の城)であるのを想像できました。
北東の土塁と虎口
東隅土塁からやや左側を見ると、北東側土塁に虎口が確認出来ました。
北東側から東隅にかけての土塁と空堀
虎口から出て、振り返って、東側を見ると本丸周囲の土塁の外側に空堀、さらにその外側に土塁が確認出来ました。薮のため写真では分かり辛いかもしれませんが、実際にはかなりはっきりと確認出来、なかなか見応えがあります。
南東側土塁と空堀
空堀を覆う薮の中を掻き分けて堀底から撮ったものですが、この南東側の土塁と空堀も見応えがありました。
南東側土塁上から土塁と空堀を
上写真の土塁と空堀を、本丸の東側土塁上から、土塁と空堀を撮ったものです。
北隅の土塁と空堀