城址跡に建つ常願寺への参道、右手に城址標柱
加治氏の城、戦国期に織田信長に降伏
所在地
三重県四日市市水沢(すいざわ)町2550、常願寺
形状
平城
現状・遺構等
現状:常願寺
遺構等:土塁、石碑(説明付き)、標柱
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/01/24
2010/02/10
歴史等
水沢城(すいざわじょう)応永5年(1398)加治信濃守が築城し、7代居城した。永禄11年(1568)、
6代孫九郎の時に信長に臣従した。
元亀元年(1570)清十郎が継いだが、天正5年(1577)滅んだ。
『現地説明碑より』
現況・登城記・感想等
水沢城跡には常願寺が建てられている。山門へ到る参道の右手に「加治信濃守城址」の標柱が建ち、
本堂の手前には城と城主についての説明付きの石碑が建てられている。
本堂の南側から裏手にかけては土塁が残っている。
(2010/01/24訪れて)
ギャラリー
常願寺山門へ続く参道の右手に建つ標柱
本堂手前に建つ石碑
本堂の手前には石碑が建ち、城と城主の歴史が刻まれている。
南側の土塁
本堂の横(南側)から裏手(西側)にかけては土塁がよく残っている。南側の土塁は植栽で分かり辛いが、
高さ2m以上あり、幅も広く立派で、特に東先端部(写真左手前の方)は広く、鐘楼が建てられているが、
往時は物見櫓でも建っていたのであろうか。
本堂裏手(西側)の土塁
西側の土塁は高さ2m弱で幅も狭いが、分かりやすい。