伊賀 丸山城(伊賀市、旧上野市)

本丸跡西隅に残る天守台

伊賀平定の為に織田信雄の重臣滝川雄利が築き、後に伊賀の大乱の発祥地に

所在地

三重県伊賀市下神戸字坂田1507
【アクセス】
近鉄伊賀線「丸山駅」から南西へ約1km。
国道422号で伊賀上野中心部から南下した場合、近鉄伊賀線の丸山駅を左手に通り越し、600m程南下し左手に消防署(分署)を過ぎてすぐの路地を左折して踏切を横切り200m程東進すると、道が右カーブしてから左手にカーブミラーがある所が登城口で、ここからは歩いて民家の前を通り、しばらくして左手にある山道へ入って行く。登城口から左手に出丸跡らしき光景が見える。この登城口のところから、先ほどまで進んできた道路を100mほど行った先に駐車スペース有り。

形状

山城(天守台で標高213m)

現状・遺構等

【現状】山林
【遺構等】天守台、櫓台、土塁、堀切、空堀、出丸、石碑

満足度

★★★☆☆

訪城日

2010/01/26

歴史等

天正3年(1575)、伊勢国司北畠具教が伊賀平定のために丸山に築城したが、伊勢大河内城で織田信長と戦った後、同4年(1576)4月三瀬里で生害を遂げ、城は荒廃したという。
同6年(1578)、伊勢の国主となった信長の次男北畠信雄(織田信雄)は伊賀平定の機会を窺っていたところ、比奈地の下山甲斐が訪れ、伊賀への手引きを申し出たので、時機到来と、重臣滝川三郎兵衛勝雅(後雄利)に命じて丸山に城を築かせた。
丸山築城を知った伊賀の土豪たちは驚き、木津川を挟んで神戸の天童山に立て籠もり、天正6年(1578)7月25日早朝、完成間近の丸山城に攻め寄せた。不意を衝かれた城兵や多くの人夫が右往左往し大混乱となり、同日昼、三郎兵衛は僅かな手勢を連れて伊勢へ敗走した。この丸山城襲撃事件が「天正伊賀の乱」の原因となった。 同7年(1579)、織田信雄は奪還を謀るが失敗した(第一次天正伊賀の乱)。
天正9年(1581)、信長自らが4万の軍勢を率いて伊賀に攻め込み、一揆軍の立て籠もる丸山城を始めとする伊賀の城砦をことごとく陥落させ、伊賀を完全に領国とした(第二次天正伊賀の乱)。
丸山城は、その後、城主に返り咲いた滝川雄利が伊勢松ヶ島城に天正12年に移ったころ廃城となった。
『日本城郭大系10他参照』

現況・登城記・感想等

丸山城は、和田竜氏の「忍びの国」を読んで、是非登城してみたいと思っていた。
さすが織田方が築いた城だけに、伊賀の他の城のような砦的なものでなく、最高所に設けた本丸を中心に北・西・南の三方に延びる尾根に曲輪を設けた本格的な連郭式山城である。
本丸跡には天守台、櫓台、土塁、空堀などが良好に残り、天守台の上には大正時代に建立された立派な城址碑が建てられている。
時間がなくなり、今回は西尾根と北尾根方面には行かなかったが、再度訪れてみる価値があるようだ。
登城口を見つけるのに非常に戸惑い、最初、違う山に登ってしまった(汗)
歴史的にも意義深く、しかも遺構も良好に残る城址である。せめて、登城口に簡単な案内板だけでも設置して欲しいものだ。
(2010/01/26登城して)

ギャラリー

丸山城鳥瞰図(余湖くんのホームページより)
丸山城は、標高180~210mほどの丘陵の最高所に設けた本丸(天守台は213m)を中心に北・西・南の三方に延びる尾根に曲輪を設けた本格的な連郭式山城である。
丸山城鳥瞰図

登城口から見える出丸?
登城口の辺りから左手に出丸跡らしきものが見える。
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南曲輪
登城口から比較的整備されたなだらかな坂道を進むと祠が祀られた平坦地へ出る。南尾根には遺構らしいものといえばこの南曲輪(鳥瞰図の3)だけである。
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虎口と本丸櫓台
南曲輪からは道が少しずつ急傾斜になり、正面に本丸虎口が見えてくる。左側の土塁が櫓台らしい。
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本丸跡(写真奥の高台は天守台)
虎口から本丸へ入る。本丸の広さは南北約80m、東西約45mあり、左手奥(西隅)に天守台が見える。
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天守台
天守台の高さは5mほど、広さは11m四方ある。
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天守台上の石碑
天守台の周囲は低い土塁が廻っている。城址碑は大正時代に建てられたもので、高さ3m以上ある。
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天守台横の空堀
天守台の南には小曲輪(写真右奥)があり、その南東に空堀がある。この写真左側の道を入って行くと西尾根方面へ行けるようだ。西尾根には堀切・櫓台・西の丸などがあるようだが、今回は行けなかった。
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天守台南側の小曲輪
この写真は天守台上から撮ったもの。小曲輪には、天正伊賀の乱で横死した伊賀郷士と織田方兵士両者の供養搭が建てられている。
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本丸東側の空堀
本丸の北東部には北尾根の曲輪から入る虎口があり、その横には空堀があり、その両側に土塁が築かれている。外側土塁下(写真左)も空堀のように少し凹みになって二重空堀のようだったが・・・?。
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北尾根
北尾根へと続く道があり、冠木門のようなのが建っていた。北尾根は段曲輪ようになっているそうだが、こに来る前に違う山に登ってしまい時間がなくなってしまったので、今回は廻るのを諦めた。
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