竹薮となった城跡の前に立つ説明板
関一族の国府氏の居城、織田信孝についたため秀吉に滅ぼされる
所在地
三重県鈴鹿市国府町字長ノ城
【行き方】
国府小学校の南側の道路を西進し150mほどの路地を右折し、150mほど進むんだ突き当たりの竹薮が城跡。路地は、非常に細いので、
路地へ曲がる手前に空地があったので、そこに駐車させてもらった。
国府小学校:国府町2372-1、電話059-378-0538
形状
平山城
現状・遺構等
現状:竹薮、畑
遺構等:土塁、空堀、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/01/29
歴史等
国府城(こうじょう)は、亀山城主・関盛政の次男・関盛門が、正平22年・貞治6年(1367)に築いた城で、亀山城(若山城)
を本家に、国府城・沢城・
鹿伏兎城
(かぶとじょう)・峯城を分家とし、「関一党」を構成していた。
天正8年(1580)、8代盛種のときに織田信長に攻められ、信長に従った。
清洲会議後、織田信孝に付いたため、天正12年(1584)には豊臣秀吉に攻められ滅んだ。
その後は、亀山城主が支配して明治2年まで続いた。
尚、この地は、奈良平安時代の伊勢国府の置かれたときの政庁所在地にも比定され、古代の土師器などが出土している。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」参照』
現況・登城記・感想等
勇気を出して?竹薮に突入したが、あまりにも強烈な薮であえなく退散した(泣)
土塁らしきものも見受けられたが・・・?
(2010/01/29訪れて)
ギャラリー
土塁?
勇気を出して竹薮の中へ突入したがあえなく退散(泣) 土塁らしきものがあったが、
とてもこれ以上は入って行く勇気も隙間もなかった(苦笑)