山城 御土居(京都市)

大宮土居町に残る御土居

天下統一した秀吉が外敵の来襲や鴨川の氾濫等に備えて京都外周に築いた土塁

所在地

京都府京都市北区鷹ヶ峯ほか
お土居は9ヵ所史跡指定されていますが、いずれも駐車場はありません。

形状

防塁

現状・遺構等

【現状】 宅地ほか
【遺構等】 土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

歴史等

御土居は、天正19年(1591)、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が長い戦乱のため荒れていた京都の都市計画の一環として、外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として築いた土塁(土居)である。
台形の土塁と堀(堀の一部は川を利用)からなり、その延長は22.5kmに及び、東は鴨川、北は鷹峯、西は紙屋川、南は九条辺りに沿って築かれた。
土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け、洛外との出入口とした。
しかし、江戸時代に入ると堤防としての役割を果たしていたものなどを除いては無用となり、近代には開発によって次々と壊され、部分的に残存するのみとなった。
『現地説明板他より』

現況・登城記・感想等

御土居は9ヶ所残っているそうですが、京都在住時代に、廬山寺の墓所に残る御土居を見て、大したことないなと思って、あまり興味がありませんでした。また、北野天満宮境内に残る御土居へも訪れたことがあるのですが、記憶が定かではありません。
ところが、京都を離れて15年目の一昨年、バスで鷹峯(源光庵光悦寺常照寺)へ行った時に、車窓から立派な大土塁が見え、それ以来、気になっていました。それは大宮土居町に残る御土居だったようです。
というわけで、今回、京都へ行ったついでに訪れました。
いわゆる一発芸?ですが、それはそれは見事なもので、さすが秀吉が築いただけのことはあると感嘆しました。
また、その少し西の方にある交通公園内に残るお土居もなかなかのものでした。
(2014/05/17訪れて)

北野天満宮のすぐ西を流れる紙屋川に沿って築かれた御土居が一部残っています。北野天満宮へは、随分訪れましたが、御土居を見に訪れたのは今回が初めてです。
今では、土塁上をはじめ多くの木々に覆われて写真に撮っても、その姿が分かり辛いですが、紙屋川からの高低差が7~8mほどある御土居の様子がよくわかります。
土塁下には散策路がありますが降りて行くことが出来ませんでした。紅葉などの季節だけ解放されているのでしょうか?
(2016/09/11訪れて)

ギャラリー

史跡御土居の位置図(北野天満宮脇の御土居の説明板より)
御土居遺構現存地

大宮土居町に残る御土居
いわゆる一発芸?ですが、それはそれは見事なもので、さすが秀吉が築いただけのことはあると感嘆しました。御土居は金網のフェンスで囲まれ、フェンスの内側に石碑と説明板が建てられています。
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金網の隙間から
土塁も素晴らしいですが、空堀も迫力満点で~すw(*゚o゚*)w。
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大宮交通公園内の御土居
北東すぐのところに交通公園がありますが、その南端にも御土居が残っています。こちらは、多少規模は小さいですが、それでもなかなかのものです。 
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交通公園内の御土居脇のゴーカートコース
御土居脇にゴーカートのコースがありましたが、ひょっとして空堀跡を利用したもの?ちょっと考え過ぎですね(笑)
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廬山寺に残る御土居
廬山寺の墓地背後にも御土居が残っていますが、こちらは・・・?
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北野天満宮脇の御土居
北野天満宮のすぐ西を流れる紙屋川に沿って築かれた御土居が一部残っています。北野天満宮へは、随分訪れましたが、御土居を見に訪れたのは今回が初めてです。
今では、土塁上をはじめ多くの木々に覆われて写真に撮っても、その姿が分かり辛いですが、紙屋川からの高低差が7~8mほどある御土居の様子がよくわかります。
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北野天満宮の西から御土居上へ登れます
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御土居の下には散策路が設けられており、下りて行ったのですが、途中で進入禁止になっていました。
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