丹波 園部城(南丹市園部町)

現存の本丸表門(櫓門)と巽櫓

小出吉親が江戸初期に入城し、明治まで小出氏10代の城

別名

園部陣屋

所在地

京都府南丹市園部町小桜町97番地、園部高校・付属中学一帯

形状

平山城

現状・遺構等

現状:園部高校・付属中学
遺構等:櫓門、巽櫓、石垣、碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2006/12/23

歴史等

戦国期に丹波八上城主波多野氏の支配下にあり、園部は波多野氏の家臣の荒木氏綱が守ったとされる。その城は天神山山頂にあったとされるが定かではないようである。
天正6年(1578)明智光秀の丹波攻めで波多野氏は滅亡し、山城は廃城となったと考えられる。
元和5年(1619)但馬出石から移封となった初代園部藩主小出吉親が、約2年間を費やして、園部陣屋を築いた。歳月を経て、戊辰戦争のさなか最後の藩主(第10代)英尚は明治新政府おあら陣屋をより堅固な園部城として整備すろ許可を受け、明治元年(1868)から2年(1869)にかけて、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に三層の櫓などを築いた。
しかし、新たな潮流の中、園部城は明治5年(1872)、そのほとんどが取り壊され、今は残された巽櫓などが往時を偲ばせている。
『現地説明板参照』

現況・登城記・感想等

城跡である園部高校へと進む途中に、模擬天守風の「園部国際交流会館」ものがあり、一瞬それが園部城かと間違えそうになる。
園部公園の駐車場から高校正門へ向かう時に、見上げる土塁が往時の姿を偲ばせてくれる。
園部高校の正門は園部城本丸表門(櫓門)で、その側に二層の巽櫓が建っている。
(2006/12/23訪城して)

ギャラリー

現存櫓門
京都府立園部高校とその付属中学の正門となっている。

現存巽櫓
正門のすぐ脇に建っている。

石碑
正門前に園部城址の石碑と説明板が建っている。

園部国際交流会館
城跡である園部高校へと進む途中に、模擬天守風の「園部国際交流会館」があり、一瞬それが園部城かと間違えそうになる。ちょっと紛らわしくて賛否両論があるだろうが、立派な建物である。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント