近江 金剛輪寺(愛荘町)

本堂前から見上げる三重塔と紅葉

応仁の乱後に自衛のために築いた砦、信長の攻撃にも奇知により火を免れる

所在地

滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874、電話0749-37-3211

形状

山城(城郭寺院)

現状・遺構等

【現状】 金剛輪寺
【遺構等】 空堀、堀切

満足度

?????

訪城日

1997/08/01
2004/11/27
2011/11/22

歴史等

西明寺百済寺とともに湖東三山の一つに数えられる金剛輪寺は、 聖武天皇の祈願寺として、行基菩薩が天平13年(741)に開山した。
応仁の乱後には、佐々木六角氏や京極氏が時々宿陣し、戦時には度々兵糧米、軍資金を強請され、当山においても弓矢をもって自衛し、衆徒の砦も築かれていた。
天正元年(1573)、百済寺鯰江城を後援したことで、 信長は同寺を焼き払ったが、当山も同罪ということで火を放たれたが、当山僧侶の奇知により、本堂・三重塔・二天門等はその火を免れた。
『パンフレットより』

現況・登城記・感想等

湖東三山の一つに数えられる金剛輪寺は、国宝の本堂大悲閣や重文の三重塔・二天門等歴史ある建築物や、桃山・江戸初期・ 江戸中期の三庭からなる池泉回遊式庭園など見どころが多い寺院である。
紅葉の名所としても有名で、「血染めの楓」と称されるほどの鮮やかな紅葉は本当に見事だ。
当寺は、衆徒による自衛の砦でもあり、パンフレットに「山中に城山という所のあるのは、当山衆徒の砦である」と記されている。どうやら、本堂の裏山らしく、そこには堀切、空堀で構成された城郭の跡が確認できるというが、今までに3度も訪れているが、未だに登って行く道が見付けられないまま下山している(/。ヽ)

ギャラリー

金剛輪寺案内図(パンフレットより) ~画面をクリックにて拡大画面に~
金剛輪寺案内図

総門(黒門)
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参道脇のお地蔵さん
黒門から本堂まで結構長い参道である。その脇には、今では2千体以上もあるという「千体地蔵」が並んでいる。このお地蔵さんは、1978年、参拝者が水子供養をしたいと申し出て始まったのだという。どうも薄気味悪かった・・・?
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二天門(重文)が見えてくる
本堂よりおくれて室町時代中頃に建立、八脚門ともいわれるように当初は楼門であったが江戸時代中頃に二階部分を取り壊し、現在の一重にしたと伝えられている。
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二天門と鐘楼
大きな草鞋が下げられているのは、七難即滅を願うものだそうだ。
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二天門をくぐって三重塔と紅葉を
三重塔は、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246)の建立とあるが、様式的には南北朝時代~室町時代の建築とみられる。織田信長の焼き討ちは免れたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は欠失部分を補って1975年から1978年にかけて復元されたものである。
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大悲閣本堂(国宝)
弘安11年(1288)1月建立の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。
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【血染めの楓】
金剛輪寺の紅葉は、「血染めの楓」と称されるほど鮮やかで美しい。
(本堂と紅葉)
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紅葉・紅葉・紅葉・・・
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