大和 豊田城(天理市)

副郭南側の横堀と土塁

興福寺大乗院方の衆徒・豊田氏によって築かれた山城、空堀が良好に残る

別名

豊田山城

所在地

奈良県天理市豊田町
【アクセス】
名阪国道「天理東インター」から県道51号を1km強南下した左手が登城口で、案内標識(下写真)があります。豊井町信号から200m北上した右手(東側)になります。
(登城口の案内標識と背後に豊田山城跡)
01登城口

所要時間

登城口から本丸まで約20分、今回の総見学時間は45分でした。

形状

山城(標高191m、比高100m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀、竪堀、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2015/11/12

歴史等

豊田城は、豊田氏によって築かれた中世山城です。
豊田氏は興福寺大乗院方の衆徒で、本拠地である豊田の他にも、匂田・田村・三島・田井庄などを領地としていた大和武士でした。
豊田頼英の頃の永享元年(1429)には井戸氏との争いを発端とした大和永享の乱が起り、当時は越智党に属していました。
享徳4年(1455)には、古市氏・高山氏・秋篠氏とともに官符衆徒に任じられ、筒井氏に代わり寺門奈良中の検断権(警察権)を得て、筒井氏・古市氏に次ぐ勢力となりました。
しかし、応仁の乱後の明応7年(1498)から、越智氏に属していた豊田氏は筒井氏の反撃を受け、筒井順盛が越智氏を撃破した動きの中で豊田城は攻撃を受けて落城した。
その後、永禄11年(1568)にも豊田城は松永久秀に攻められ落城していますが、この時、豊田氏は井戸氏の井戸城に立て籠もりましたが、元亀元年(1570)に松永氏に内応して井戸城を脱出し、松永氏の傘下となりました。
しかし、翌年の辰市合戦で松永軍に属して戦い、討死・滅亡しました。
現在残る城跡は、松永氏の傘下の頃に、松永氏の指示により改修されたものと考えられます。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」他参照』

現況・登城記・感想等

豊田山城は、東西290m、南北380mの規模を示し、大きく分けて5つの郭で構成されます。北側に主郭と副郭を配し、周囲には横堀が縦横にめぐらされ、随所に谷筋方向に竪堀が設けられています。
城跡は、あまり整備されているとは云えませんが、主郭部(含副郭)周囲を中心に良好に残る横堀と竪堀は見応え満点です。
登城前には、これほどの中世城跡が奈良県内にあり、しかもこれほど良好に残っているとは思ってもみませんでした。
ただ、あまり整備が進んでいるとはいえず、よく分からないまま薮の中を歩き回っただけで下城したのが残念です。近いうちに、もっと下調べをして再登城したい城跡の一つです。
(2015/11/12登城して)

ギャラリー

豊田山城縄張略図(現地説明板より)
豊田山城は、東西290m、南北380mの規模を示し、大きく分けて5つの郭で構成されます。北側に主郭と副郭を配し、周囲には横堀が縦横にめぐらされ、随所に谷筋方向に竪堀が設けられています。
00豊田山城縄張図

大手道(堀底道)
登城口(案内標識のところ)から4分ほど歩いて来ると大手口へ出ます。ここからは、中世の山城の面影が色濃く残る見事な堀底道が続きます。
登城道

城戸
堀底道を6分ほど歩くと前方上に城内への虎口(城戸)が見えて来ます。左手上には切岸が・・・。
城戸

切岸と空堀
切岸の下には空堀が設けられています。
切岸

南郭(出郭)の切岸
虎口から入城すると左手に南郭(出郭)の切岸が見えます。
南曲輪

分岐
道に従って進むと、正面に「豊田城址」の看板と説明板が立っています。説明板には、城についての説明と縄張図があり、紙製でビニールに覆われているのですが、縄張図の方は下に落っこちて破れてしまっています。ここに縄張図があるのは有難いのですが、もう少ししっかりした説明板にして戴きたいところです。ここを右へ向かうと南郭(出郭)で、左が本丸方面のようです。
分岐

南郭(出郭)
南郭は、あまり整備されていないようです。
南郭

主郭部(副郭)の南側の郭
一方、左側は、ほとんど未整備状態の平坦地です。縄張図からすると、どうやら主郭部の南側の郭のようです。それとなく、あまり藪のひどくないところを北東へ向かうことに・・・。
郭

土塁が・・・
薮の中を北東へ進むと、左手前方に土塁が見えて来ました。そこで、土塁上に・・・。土塁の向こう側は副郭です。
土塁

主郭部(副郭)南側の土塁と空堀(南東隅から)
土塁に登ってみると、そこには見事な空堀が現れました。土塁や切岸の折れも見事です。
空堀1

主郭部(副郭)東側の土塁と空堀(南東隅から)
主郭東側の空堀も見事です。
空堀2

主郭部(副郭)南東隅から南下へ延びる竪堀
主郭部南東隅から南下へ延びる竪堀は、かなり下まで落ちて行っているようです。
竪堀

櫓台跡
主郭部(副郭)の南東隅には、櫓台があったとされているそうで、古墳の盗掘により崩されたというのですが、どうなんでしょうか?
尚、この傍には馬出しがあるらしいのですが、気が付きませんでした。
櫓台跡

主郭部(副郭)東側の空堀
副郭の東側の空堀の北部分ですが、本当にかっこいいです。
東側空堀

東郭への虎口
副郭の東側の空堀を北へ向かうと、右側土塁に東郭への虎口があります。あとで行こうと思っていたのですが、東郭へ行くのを忘れてしまいました(;>_<;)。
東郭虎口

本丸と副郭を区画する空堀?
本丸と副郭は、広い空堀?で区画されています。写真奥の切岸上が本丸です。
本丸と副郭間

副郭西下の横堀と竪堀
写真では分かり辛いかもしれませんが、副郭の西側の横堀と、そこから南西下へ落ちて行っている竪堀です。本来なら、横堀へ下りて行って撮りたいところですが、深い上に傾斜が急なので止めました(^_^;。
IMG_0176

本丸上
本丸上は薮だらけです。
本丸

本丸西側の土塁と空堀(南部分)
本丸の西側にも、土塁と空堀が設けられています。本丸上から撮影したものです。
本丸西側の空堀と土塁

本丸西側の空堀(北部分)
藪がすごくて、土塁は見えません。空堀下までは、相当な高低差があります。
本丸西下の空堀

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